おうし座
不穏なリズム
見慣れない<わたし>へ
今週のおうし座は、『大いなる新樹のどこか騒ぎをり』(高浜虚子)という句のごとし。あるいは、新しい風に誘われ、どこか見知らぬところへ連れ去られていくような星回り。
「新樹」は初夏の新緑をたたえた樹のこと。大きないっぽんの樹に生い茂ったまだ青々しい葉が、風のせいか、なにやら騒いでいる。
この場合、何か具体的な音が聞こえるというより、葉の動きに「騒ぎ」を感じるということが大事なのでしょう。「どこか」と、箇所を特定しない表現も、向かいあっている樹の大きさを伝えると同時に、新樹を見ている者の心のありようをよく暗示しています。
すなわち、自分でもよく把握しきれていない変動が現実に起きつつあることに戸惑いつつも、それをどこかで楽しんでしまっている節がある。
そして、それは単に外から新しい風が吹いてきているというだけのせいではない。わが身のどこかに、なにやら透明な芽がはえて、それがいつの間にか無視できない程に、いつの間にか古びてしまっていた<わたし>を見なれない何かへと書き換えてしまうのではないかという予感が、ひしひしと襲ってきているのかも知れません。
5月8日に自分自身(生命力)の星座であるおうし座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、自分を書き換えてしまうような揺れや騒ぎに反応しやすくなるだけでなく、おのずとリズムを合わせていくことになるでしょう。
太陽(生命力)を召喚する
ロラン・バルトは『第三の意味―映像と演劇と音楽と―』のなかで、しるしを刻まれた有徴のものと無徴のものの絶えざる後退を運動(いま)として持続させることこそが、人間性の根本なのだとして次のように述べていました。
文字が発明されるずっと以前に、さらには、洞窟画が描かれるずっと以前に、おそらく根本的に人間と動物とを区別する何事かが生じたのだ。それはリズムを意図的に繰り返すことである。……砕石の刻み目や槌で打たれて多面体化した球が証明するように、人間の作業の特徴は、まさに長く繰り返されるリズミカルな衝撃音なのである
眠りと目覚め、緊張と弛緩、滑りと遅れ、流動と制御、持続と宙づり―。私たちはそうした繰り返されるリズムと一体化していくなかで、それに受動的に運ばれると同時に、それを対象化して能動的に拍節を刻むのであって、その意味でリズムとは、時間の内部にあって時間を超える契機であり、時間の<外>へ飛び出していくきっかけを、人はリズムの中にこそ見出していくのではないでしょうか。
今週のおうし座もまた、そうしてみんなが当たり前にその中で死んでいくものと思い込んでいる時間の<外>へ飛び出してきっかけを、自身の刻む心臓のリズムの中につかんでいきたいところです。
おうし座の今週のキーワード
ざわざわざわざわ