おうし座
ちょっとした基準の書き換え
初日の出もなんのその
今週のおうし座は、『初茜マンボウは何かの途中』(阪西敦子)という句のごとし。あるいは、人間社会の文脈をゆるゆると相対化していこうとするような星回り。
「初茜」は初日の出にちなむ新年の季語で、太陽がのぼりきる前に、東の空がほのぼのと茜色に染まっていく情景のこと。
人間は初日をやたらと有難がって遠くまで見に出かけたり、必死に願掛けをしてみたりと、何やら世俗の利益のために慌ただしいが、最弱伝説さえある世界一間抜けな生き物であろうマンボウはそれには間に合わず、いつものボーっとした顔のまま「何かの途中」なのだという。
とはいえ、正月だの初日の出だのというのも、しょせん人間たちが勝手に定めた区切り目であって、マンボウからすれば何の変哲もないいつもの静かな海で、海面に身を横たえて日光浴でもしながら浮いているだけのことなのかも知れない。
ぷかぷか、すいすい、たらたら、と。そうしてマンボウは人間社会の線引きや区切り目を、いっさいの力を抜いて横切っては、相対化してゆく。
1月4日におうし座から数えて「行儀や作法」を意味する6番目のてんびん座で下弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、いっそそうしたマンボウになったつもりで、さまざまなしきたりや決まり事を何でもないような顔でぶっちぎっていきたいところ。
大岡信の『さわる』という詩
さわる。
木目の汁にさわる。
女のはるかな曲線にさわる。
ビルディングの砂に住む乾きにさわる。
色情的な音楽ののどもとにさわる。
さわる。
さわることは見ることか おとこよ。
否。視聴覚メディアが発達し、分かりやすく開示することがよしとされる現代において、「さわる」ことは通常、「見る」や「聞く」と比べてあまり重要とはされてはおらず、あくまでそれらの感覚の”ついで”に行われる動作とされることがほとんどです(それゆえに、触覚は”隠れて”使用されがちでもある)。
ところが、この詩ではあえて通常の意味での触覚の対象ではないような、さまざまな対象に「さわる」という言葉を使用していくことで、既存の感覚的常識を異化し、「さわる」という感覚を第一義に近い位置へと転倒させていこうとしている訳です。
なお、詩の最後に「おとこよ」とあるのは、細い指を持つ人は触覚においてより敏感であるという発表もされているように(『the Journal of Neuroscience』,2009年)、一般的に女性は男性よりも指が細く、触覚に優れているという前提を踏まえれば、この詩の意図する転倒が男性優位に作られた社会や文脈まで睨んだものであるということが分かってきます。
今週のおうし座もまた、どれだけ窮屈な文脈や状況を自分なりに脱却していくことができるかを大事にしてみるといいでしょう。
おうし座の今週のキーワード
ウー!マンボウ