おうし座
余剰と不足
際限のない運動性をつくりだす
今週のおうし座は、『ありつたけの夏野菜はてしなくわたし』(小川楓子)という句のごとし。あるいは、心の平安をもとめてどこまでも行動していこうとするような星回り。
ナス、きゅうり、トマト、ピーマン、ゴーヤにオクラ、ズッキーニ、それからミョウガ。まだまだありますが、夏野菜は種類が豊富なだけでなく、栄養満点で彩りもじつに鮮やかで、スーパーや八百屋さんの陳列を見ているだけでも、ういういしい生の肌触りが目から全身へと広がって心地よく波打っていくような心地になります。
掲句でも、そうした妙な夢心地に誘われたのか、作中主体はおそらく「ありつたけの夏野菜」を実際に手元のかごにつめこんでみたのでしょう。その瞬間、「はてしなくわたし」という思いがよぎったのです。
ここで留意しておきたいのが、「ありつたけ」の方では力の限り(手元に)集めてみたが、まだ集めきれていないという“余剰”が強調されているのに対し、「はてしなく」ではそうした“余剰”を消してしまうような際限のない運動性を感じさせるところ。
すなわち、掲句では「ありつたけの野菜」でピークに達してしまうのではなく、むしろそれで満足しきれない「わたし」が、まだ足りない不足分を補うべくどこまでもそれを探し求めていこうとする爆発的なエネルギーが生まれている訳です。
その意味で、7月14日におうし座から数えて「探求」を意味する9番目のやぎ座で満月を迎えていく今週のあなたもまた、おうし座らしい貪欲さの本領を発揮していくことでしょう。
スピノザの「自己保存のコナトゥス(努力)」
ベートーヴェンの『歓喜の歌』において見出されるような、死への衝動をも包み込んだ生きる意志、それをニーチェは「力への意志」と呼びましたが、その先駆と考えられるのがスピノザの「自己保存のコナトゥス(努力)」でした。
訳語が災いしてか、「力への意志」と同様、利己主義的で保守主義的な悪い原理かのように思われがちですが、スピノザはこれこそが徳の唯一の基礎と見なしていました。なぜか。
スピノザは個体を無限なる実体の「ある一定の」表出と考えていた一方で、個体は有限であるとも明記していました。とすると、個体とは無限を含んだ有限ということになりますが、これは言い換えれば、どこまでが「自己」で、どこからが「非自己」なのか、ということは先天的に、そして1つに限定されるような形では決定できないということ。
だから、自己と非自己とのあいだの境界線を引かずに、不断に考え続けること、安易な結論を出さずに、沈黙を深めていくこと。この世の豊かさの象徴であるかのような夏野菜を数えあげ、手元にかき集め続けること。そういうことを、スピノザは大切にしようとしていたのではないでしょうか。
今週のおうし座もまた、小さくまとまることを諦めて「自己保存の努力」を可能な限り続けていくべし。
おうし座の今週のキーワード
わたしとは無限を含んだ有限