さそり座
思いがけぬ自画像
胡蝶の夢は見れぬども
今週のさそり座は、『うつうつと最高を行く揚羽蝶』(永田耕衣)という句のごとし。あるいは、メランコリーの教訓をしかとおのれに叩き込んでいくような星回り。
「うつうつと」という始まりから、いきなり空間的な上方を指す「最高を行く」へと急激に変化する調子に、躁うつ病の気配を感じとる人は少なくないでしょう。そして、そんなゆらぎのただ中にある作者の魂をそのまま具現化したかのような「揚羽蝶」のただらぬ存在感が、いつまでも脳裏にこびりついて離れなくなるのも掲句の特徴と言えます。
いにしえの錬金術師のあいだでは、強い悲哀感や意欲の減退を特徴とするメランコリーは錬金術の「黒色化」の過程と同一視されましたが、彼らの原則に従えば「黒色化」とは、非物質的なものに物質を与え、形あるものを形ないものにもするという「大いなる作業」の第一段階であり、彼らはそこで徹底的に否定性と死とをわがものにし、最大の非現実性をとらえることで、最高の現実性を形作ろうとしたのだと言えます。
つまり、「うつうつと」して落ちるところまで落ち、「不可能性」を身をもって知ることができた者だけが、その後に、真の意味で「最高」ということをとらえることができるのだということ。
その意味で、7月29日にさそり座から数えて「為すべきこと」を意味する10番目のしし座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、心から「とらえられない」と感じたものこそが真の意味でとらえられるのだということを、改めておのれに言い聞かせていくべし。
定められた運命の予見
若い男が右手に絵を描くときに用いる画杖という道具を手にする一方で、左手を絵にかけている。男は画家で、オランダの画家ダーフィット・バイリーの『ヴァニタスのある自画像』という作品なのですが、この自画像を描いたとき、すでにバイリーは67歳でした。
すなわち、自画像のなかの若い男は、自身の約40年前の姿であり、さらに男が左手で支えている小さな楕円形の画面には、10年ほど前に描いた自画像がはめられています。つまり、ここには若いころの自分と、すこし前の自分の姿が描かれており、それらを描いた現在のバイリーの姿はありません。
「ヴァニタス」とははラテン語で「空虚」「むなしさ」を意味する言葉であり、中世以来の「メメント・モリ(死を想え)」という主題と同じく、寓意的な静物画のジャンルのひとつとして盛んに描かれました。
実際、バイリーの自画像においても、若い男が腰かけているテーブルの上には、髑髏とともに宝飾類やコイン、消えた蝋燭、花、楽器、ひっくり返った杯などが、所せましと並べられ、さらには空中に2つの大小のシャボン玉が浮かんでいます。はかなく消えるシャボン玉の脇で、若い男は自身もやがて老いて死にゆくことを悟り、やがて自身の元にも訪れるであろう定めを予見しているのです。
今週のさそり座もまた、以前よりももっと深く、そうした定めと向き合っていくことになるでしょう。
さそり座の今週のキーワード
メランコリーの教訓