いて座
足どり軽く骨を折る
自己の回収
今週のいて座は、「おほかたは外を見てゐるわが眼おのれを見るはつひになからむ」(遠山利子)という歌のごとし。あるいは、舞台裏にひっそりと隠れている心を、表舞台へと引っ張りあげていくような星回り。
おおくの人は外へと出かけていき、山の高い頂きや、広漠たる海ばら、星辰の荘厳な運行に驚嘆していきます。しかし、自分自身のことは置き去りにしてしまう。
その意味で、今週はこれまで置き去りにしてきた自分自身を回収していくことが特に大切なテーマとなっていくでしょう。
確かに私たちの目では、自分の顔をじかに見ることも、うしろ姿を眺めることもできない。ましてや心の中をみることなど、もともと大の苦手なのだ。
まずは、そのことを改めてきちんと受け入れていくこと。その上で、外側に見える物事の裏に、ひっそりと隠れている自分の心を丁寧に見出す努力をし、心のかけらを拾い集めていくこと。
今週は、そんな骨の折れる作業と向かいあっていくことになりそうです。
泥棒猫の足どりで
夏目漱石は『吾輩は猫である』の中で、「のんきと見える人々も、心の底をたたいてみると、どこか悲しい音がする」と書いていました。
しかし案外、人は自分の出している心の音に気付いていないものですし、一体それがどこのどの部分から鳴っているのか、という話になるともうほとんどがお手上げとなります。
ただその一方で、誰かに心から寄り添っていくとき、人は自然と相手の悲しい音の出処を敏感に感じ取っていくものです。
とはいえ、大きな音を立てて近寄っていけば、出処はつかめない。抜き足差し足忍び足でそっと近くまでいって、何度か通り過ぎて、ああ、あそこだったかなとやっと察知することができる。
だから「泥棒猫」と言うように、猫は泥棒の鑑であって、家のどこから入ってどこに大事なものがしまってあるか、見抜いていながら知らんぷりしている訳です。
今週は、ぜひそんな猫になったつもりで、内から外から、心に風を通していくこと。くれぐれも、余計なものをくっつけず、軽やかな足どりで臨んでいきましょう。
今週のキーワード
心の底と猫の手と