いて座
何がための新たな根か?
魂の糧と毒を見分ける
今週のいて座の星回りからは、「新しい根をもつ」というキーワードが浮かんできます。
夭逝したフランスの思想家シモーヌ・ヴェイユにも『根をもつこと』という著作がありますが、そこで彼女は「根をもつこと」は人間の魂のもっとも重要な欲求であり、定義の難しい欲求のひとつであると述べています(ここで言っているのは“根にもつ”嫉妬のことではありません)。
同時に、彼女はこの欲求は気まぐれなどと混同してはならないし、そこで欲されている「魂の糧」と、一見その代替物のように見えてしまう「根を侵食する毒」とを区別せねばならないという指摘も加えています。
これはつまり、本質的に必要ではないのにも関わらず、一度手を出すと中毒的にハマっていってしまうような快楽を伴う行為のことでしょう。
ここで少し具体的な補足もしておくと、今のあなたの場合、ヴェイユの話を特に収入や貯蓄など「ふところ事情」の文脈で捉えていくことをお勧めします。
つまり、新しい収入源をもつこと。自信をもってできることを増やし、新たな大地に足を伸ばし、そこに根づくこと、などなどです。
根を持つことと癒されること
では実際に人はどのようにして「根を持つ」のでしょうか。ヴェイユは次のように述べています。
「人間は、過去のある種の富や未来へのある種の予感を生き生きといだいて存続する集団に、自然なかたちで参与することで、根をもつ。自然なかたちでの参与とは、場所、出生、職業、人間関係を介しておのずと実現される参与を意味する。」
さまざまな合縁奇縁を通じ、広義の意味での「富と予感」を備えた集団に参加することで人は初めて、「根を持つ」ことができると。さらにヴェイユはこう続けます。
「人間は複数の根を持つことを欲する。自分が自然なかたちでかかわる複数の環境を介して、道徳的・知的・霊的な生の全体性なるものを受けとりたいと欲するのである。」
「生の全体性を受けとる」ために、人は新たな根を欲する。ここはヴェイユの言いたいことの核心を突いた重要箇所です。
よくいわれるように「癒し(heal)」とは「making whole(全体にする)」という意味から来ていますが、彼女の言説に当てはめていくと、人は「道徳的・知的・霊的」に癒されていくために、さまざまな集団に参加し、その影響を自然なかたちで関わらせていくのだ、ということになります。
どんな集団へ参加していくことが、そうした根源的な欲求を満たしてくれるのか、よーく考えた上で、踏み出していく時です。
今週のキーワード
新たな根を持つために富と予感をそなえた集団に参加すること