いて座
月と人類史
火や道具を獲得する以前の人類
今週のいて座は、『人間であること久し月見草』(和田悟朗)という句のごとし。あるいは、できるだけ大きな流れのなかにみずからを置いていこうとするような星回り。
人間として過ごすようになってからすでに長い時間がたっているなあという実感を詠んだ一句。そして、そういう実感を抱くにいたったきっかけとして「月見草」という言葉がぽつんと置かれている。
月見草は、夏の終わりから秋のはじめにかけて、河原や高原などで黄色の大輪を咲かせる花で、おそらく人気のない暗い場所でぽつんと咲いている月見草を見かけ、それが心に深い余韻を残したのでしょう。
かつて人類の祖先は森の樹々にぶらさがって暮らす樹上生活を送っていたのが、やがてサバンナに出て遠くを見るために立ち上がるようになった。動物の中でも他の肉食獣と比べて武器がなく、弱かった人類はおのずと夜行性でしたから、月の光のもとで世界を見ていたはず。
月の光は太陽の反射光ですから、色としては黄色が中心であり、そういう歴史があって、人の目には暗い場所で黄色が目立つように出来ている。作者はそうしたはるかな人類史のながれを、心に残った月見草の佇まいから一気に構想していったのだと思います。
9月11日に自分自身の星座であるいて座で上弦の月(行動の危機)を迎えていく今週のあなたもまた、自分が生まれたり参加するようになるうんと前の歴史からの流れをたどり直してみるといいでしょう。
みだりに単純化しないこと
掲句で思い出される文章に、哲学者のホワイトヘッド(1861~1947)がこよなく愛したイギリスの大詩人ワーズワースをとりあげ、次のように書いている一節があります。
もちろん、誰も疑わないことだが、ワーズワースは、ある意味では、生物が無生物と異なることは認めてはいる。しかし、それは、かれの眼目ではない。ワーズワースの念頭にあるのは、丘にたれこめる霊気である。かれのテーマは、全体相の自然だ。すなわち、われわれが個体とみなすどんなばらばらの要素にも刻印されている、周囲の事物の神秘的な姿を強調するのだ。かれは、個々の事例の色調にふくまれた自然の全体をいつも把握する。(『科学と近代世界』)
そう、私たちが住んでいるのは、信じられないくらい複雑で錯綜した世界なのであって、精神とか肉体といった「わかりやすいもの」が別々にあったり、他のものと無関係に独立して存在している訳ではなく、まず「なんだか分からないけれど、ここで自分も、とめどなく複雑な何かに関係している」という感覚的把握が根底にあるはず。
そしておそらく、そうした感覚的把握というのは、火や道具を手に入れて強くなり、昼の太陽光のもとで行動するようになって以降、じょじょに失われてきたものでもあったのではないでしょうか。
その意味で、今週のいて座もまた、そうした複雑で錯綜した世界を小さく切り分けることなく複雑なまま受け取っていく感覚を、少なからず思い出していくことになるでしょう。
いて座の今週のキーワード
人類の脳の歴史をさかのぼる