いて座
無常な日常
滅びゆく相の中で
今週のいて座は、『子供減り猫増え更地茂るなり』(小川軽舟)という句のごとし。あるいは、生き延びるためのコミュニケーションを淡々と紡いでいこうとするような星回り。
杜甫の「国破れて山河あり」という漢詩を、かつて敗戦後に空襲の焼け跡に立った多くの日本人が思い起こしたと言いますが、現代の日本社会もまた真綿で首を絞めるかのごとく、ゆっくりと、そうであるとは気が付かぬように、国が破れていっている真っ最中にあるのではないでしょうか。
少子高齢化がこのまま進めば、2040年には日本全国の空き家率は40%を超えると予想されており、その実数の多くをになう首都圏(1都3県)では、実に全国の空き家数の約24%を占めるのだそう(全国賃貸管理ビジネス協会調べ、2020)。
しかし、そうした社会や文明の滅びゆく相について、掲句は特別悲観的になる訳でも、誰かどこかを批判したり警鐘を鳴らそうとする訳でもなく、ただしどこまでも自身の日常の延長線上にあるものとして、淡々と詠んでいます。
それは人間への無関心のあらわれと言うより、むしろ他人との比較や有名人の不幸や炎上事件を通してしか、自身のしあわせや生きてる実感を得られなくなってきつつある現代人的な心性への反動とも取れるのではないでしょうか。
同様に、5月1日にいて座から数えて「隣人付き合い」を意味する3番目のみずがめ座で下弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、どんなにささやかなものであれ、自身が心安らかにあれるような交流にこそ心を寄せていくべし。
「あらためて」という感覚
掲句には、どこか「あらためて」という日本語の背景にある根源的な諦念に通底するものがありますが、例えば哲学者の磯部忠正はその点について次のように説明しています。
いつのまにか日本人は、人間をも含めて動いている自然のいのちのリズムとでもいうべき流れに身を任せる、一種の「こつ」を心得るようになった。おのれの力や意志をも包みこんで、すべて興るのも滅びるのも、生きるのも死ぬのも、この大きなリズムの一節であるという、無常観を基礎とした諦念である(『「無常」の構造―幽の世界―』)
つまり、われわれの生き死にには、大きな四季の移り変わりや月の満ち欠けのような移りゆきと同じように、無常のリズムというものが働いており、「あらためて」ということも、ついついそのリズムから逸脱してしまった人間が、再びそこに軌を一にしていく際の感覚を表現しようとしているのかも知れません。
とはいえ日本人のDNAに刻み込まれた遺伝的記憶としての無常観を、現代人は忘れつつある訳ですが、今週のいて座は、そんな身の内の遺伝的記憶を再びよみがえらせていくことがテーマになっているのだと言えます。
いて座の今週のキーワード
自分も含めて動いている自然のいのちのリズムに身を任せる「こつ」