いて座
自分とのかくれんぼ
滑稽上等
今週のいて座は、『大寒や転びて諸手つく悲しさ』(西東三鬼)という句のごとし。あるいは、人間が人間であることすら許さない空気を自分から打ち破っていこうとするような星回り。
一年のうちで寒さがもっとも厳しくなる「大寒」を痛感させる、超~寒い日にすってんころりんと転んでしまった中年男性のもの悲しさを詠みあげた一句。
「両手(りょうて)」というかしこまった言い方の代わりに、「諸手(もろて)」という滑稽な状況が露骨に浮かび上がってくるような表現が使われているのがたまらなくいい。
転んだ拍子に、隠してきたものが“もろ”に飛び出してしまったのか、明晰かつ自覚的に選択した人生を生きているつもりだったのに自分でも気付かないうちに“耄碌(もうろく)”していたのか、現実生活や人間関係におけるバランス感覚を失って“朦朧(もうろう)”としたのか。
いずれにせよ、いくら年を重ねようが、社会的な地位が上がろうが、人間である限りいついかなる時も転ばずに、しゃんと立ち続けていることは不可能です。にも関わらず現代の日本社会は、ますます一度のつまづきやまちがいさえも許さないという雰囲気が強まっており、そんな中でみなが「自分はこれからも今後も転ぶことなどありえない」というすまし顔を必死に演じているように感じてしまいます。
その意味で、掲句のような率直さがある種の人間賛歌となっている度合もまた、ますます強まっているのではないでしょうか。1月26日にいて座から数えて「アイデンティティクライシス」を意味する9番目のしし座で満月を迎えていく今週のあなたもまた、自身のすまし顔を自分で打ち砕いてみせるくらいの懐の深さを見せていきたいところです。
あえて鬼になる
「今後自分は社会的に何者になっていくのか?」あるいは、「何者でありたいのか?」。こうした問いに向き合っていくにあたって、ここでもう一人の自分とかくれんぼで遊ぶところをイメージされたい。
すなわち、まだ活かし切れていない自分の側面を実際に自分の身体や実人生を通して十全に経験していくためには、ここで一度あえて「鬼」の役を引き受け演じておかねばならない。今週のいて座が問われているのは、「そういう選択ができるか?」ということです。
鬼は疎まれ、避けられる、世間の憎まれ役です。一応、神に逆らう反逆者ということにはなっていますが、昔話の中の鬼というのは、たいてい神を殺すほどの力を持たないながら、世間の多数派である征服者側に服従することをよしとしなかった「まつろわぬ民」や敗残者のメタファーとしても読み取っていくことができます。
恐らく、鬼の側に立つことから逃げている限り、単純な勝ち負けの二元論を超えるような視点や、表も裏も統合するような、より大きな自分というのは生まれてこないでしょう。逆に言えば、自分が鬼となることを許可していけるのは、それ自体が成熟の証しなのです。
結果的に、役割を終えた知り合いや友人などとの関係が切れていくということもあるかも知れませんが、今ならばそれもまた自然な流れなのだと受け入れられるはず。
いて座の今週のキーワード
勝ち負けを超えていけ