いて座
恋をもよおす
闇があっての光の点滅
今週のいて座は、『左目が右の目を呼ぶ蛍籠』(十亀わら)という句のごとし。あるいは、人間界から退散しかかっている「恋」というものを取り戻そうとするような星回り。
「蛍籠(ほたるかご)」とは、蛍を入れ飼育したり鑑賞したりするために作られた籠で、今ではあまり見なくなりましたが、昔は軒や庭木などに吊るして楽しんだものでした。
蛍は交尾する相手を求め、光を点滅させることで個体間のコミュニケーションをはかっていくのですが、掲句ではその様子を「左目が右の目を呼ぶ」ときわめて情緒的に詠んで昂ぶらせた上で、体言で止めてまとめることでスーッと冷ましている。
最近はコスパやタイパを求めて、みんな何をするにもすぐに結果を出そうとしがちですが、近松門左衛門が「恋と哀れは種ひとつ」と言っていたように、ほんらい恋の本質は葛藤にあり、簡単に成就してしまったらそれは恋ではないんです。
その一方で、引くべきところではスッと引くのも恋だった。それは昨今よく聞く蛙化現象のように急に冷めちゃったみたいな話ではなくて、限りある時間のなかで赤の他人同士が関わるのだから、思いが通じ合わないことの方が普通だよねといった、ある種の諦念(たいねん)にもとづく美学的態度でもあって、その対極がいつまでもズルズルと引きずる「恨み」でした。
もういいだろう、引き際だろうというところに来ていても、「ダメです、許せない」となって、また元のところに戻ってしまう。すると、正視に耐えなくなっていく。それは、「左目が右の目を呼ぶ」ような切に望む状態が続いて気付くと哲学していたり、作品をつくってしまったりということとはやはり決定的に違う訳です。
26日にいて座から数えて「集合的な忘れもの」を意味する12番目のさそり座で上弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、恋することがすっかり苦手になってしまった現代人にあって、希薄化しつつある恋の成分を改めて取り込んでいくべし。
語るべきことばを待つこと
恋する者たちのあいだに訪れる沈黙の深さを考えると、現代人が本当に失ってしまったのは「話しあう」時間ではなく「黙りあう」時間なのではないか、という思いが改めて強くなります。
もしもそれができたなら、私たちは当事者意識のない政治的詭弁からも、余計な空気の読みあいや、過剰すぎる人生相談からも解放されて、その数倍の“ことば”を聞き分けるよき機会を持つことができるのではないでしょうか。
逆に普段から“ことば”を聞き分けることもせず、そのまま頭の中に張り付けてしまっている人というのは、いつしか自然に生気にみちたエロティックな生に入っていくこともできなくなっていくはず。つまり、そうしてみずからの人生を語る言葉を喪失していく訳です。
今週のいて座は、いつも以上に自分の内側を空にしてそこに生まれた沈黙に耳を澄ませていく必要に迫られていくことになっていくでしょう。
いて座の今週のキーワード
エロティックな生に入っていくこと