いて座
有為転変の中で
刹那と永遠
今週のいて座は、『楠の根を静にぬらすしぐれ哉』(与謝蕪村)という句のごとし。あるいは、矛盾性を包みこむ働きをしていこうとするような星回り。
楠(くす)の木というと、樹齢が数百年をこえるような巨木をイメージする人が多いのではないかと思います。実際、日本1クラスの巨木は大抵が楠の木で、樹齢千年を超えるものも見受けられます。
それくらい、楠の木の前にたたずむと、悠久の時間に抱かれるような心持ちになるものですが、その一方、冬の「時雨(しぐれ)」はというと、降ったかと思うと晴れ、しばらくするとまた降るといった具合で、しばしば“はかなきこと”の譬えとされてきました。
時代の流れを超えいつの世も変わらぬことと、ほんの一時たてば変わってしまうこと。すなわち永遠性と刹那性という、ともすれば矛盾を孕む対照的な2つのものが、「静(しずか)にぬらす」という表現のなかで包みこまれいる訳です。
楠の大木をさあっと音を立てて降りすぎた「時雨」が、いつしか水滴となってその根っこを静かに、少しずつぬらし続けている。それは有為転変のなかではかない身ながら永遠に達せんとする、われわれ人間の生き様そのものなのだとも言えます。
24日に自分自身の星座であるいて座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、たとえそれが流した涙であれ、掲句のように相矛盾するものどうしを、いかにみずからの内に定着させていけるかがテーマとなっていくでしょう。
歩行と探検のはざま
私たちはまがりなりにも毎日自分の面倒を見ながら生き続けていこうとしているはずですが、それは何のためかと言われれば、おそらくまだ自分の知らないことを見たり聞いたり体験していくことで、自分の欲求をより深く満たしていくためでしょう。
つまり、ふだん自分が営んでいる生活システムの維持それ自体が目的なのではなくて、そうしたシステムを拡張したり、質を上げたり、別の系のシステムへと移行していったり、その中で何かを産み出したりしようとしているのです。
そしてそのためには、掲句の楠の巨木にとっての時雨のように、何らかの形で普段の生活システムの外へと飛び出してまなざしを反転させ、「外」からその限界だったり不足だったりを明らかにしていく必要があります。そういう意味では、なにも南極大陸やエベレストまで行かなくなって、そうしたまなざしの反転そのものが広義の<探検>であり、旅行や芸術鑑賞と同じかそれ以上のインパクトをもたらしてくれるのではないでしょうか。
例えば、「家」というシステムの外へ出て、ふだんの通勤の際には脇を通り過ぎるだけだった近所の公園に、ビニールシートを敷いて寝転んでみる。それだけでも見えてくる風景はまったく違ってくるはず。今週のいて座には、そうしたある種の余白が特に不可欠となっていくでしょう。
いて座の今週のキーワード
まなざしの反転