いて座
もののはずみ
世界からのサプライズ動画
今週のいて座は、「人生山あり谷ありモハメドアリ」というメッセージを掲げて踊る黒人集団のごとし。あるいは、遠くの誰かに対し、ほとばしる自身の思いを伝えていこうとするような星回り。
先日たまたまYoutubeのオススメ欄に表示された動画を開いたら、どこかアフリカあたりの国らしい景色を背景に、筋骨隆々(きんこつりゅうりゅう)の上半身裸の男たちと「人生山あり谷ありモハメドアリ」という日本語で書かれたメッセージ・ボードが映った。
男たちは、画面の前でまずそれを丁寧に唱和しながらよみあげると、陽気な音楽にのってしばらく踊りまわり、最後に南国の花とともに再びボードを掲げて終わる。わずか30秒ちょっとの短い動画だったが、今や何を見るにも広告だらけのネット世界にあって、久々に思いがけず世界が広がった気がした。
これは「世界からのサプライズ動画」として、依頼主から依頼されたメッセージや画像を掲げて現地の人たち踊ってくれるというれっきとしたサービスであり、地域おこしや外貨獲得のための施策の一つな訳だが、逆に言えば、日本語を使える誰かが主に日本人の視聴者に向けてこのメッセージ掲載を依頼したということになる。
動画のコメント欄にも、なんの意図があって、誰が依頼したのか、そもそもどんな意味なのか、といったコメントが寄せられていたが、おそらく気まぐれかノリで依頼したか、ちょっとした出来心に端を発した一件だったのかも知れない。それでも、決して安くはない依頼料を払い、高い倍率をかいくぐってこの動画が制作され、こうした特定の誰かの利潤を超えたメッセージが届けられたという事実には、それに触れたものの心をほのかに明るくする何かが含まれているような気がした。
同様に、14日に自分自身の星座であるいて座で満月を迎えていく今週のあなたもまた、そんな善意といたずらとが相半ばするくらいのもののはずみにみずからを投じていくべし。
歩行から舞踏へ
20世紀ヨーロッパの最重要詩人の1人であるポール・ヴァレリーは、『一詩人の手帖』(松田浩則訳)という断章集の中で、「散文から詩への、言葉から歌への、そして歩行から舞踏への移行」と書いていたが、これは詩というものが何もロマンティックな修飾語の多用によって成立するのでなく、ただもろもろの観念のうち散文の中には置いておけない部分が詩と呼ばれるのだということを端的に示している。
つまり、「思考のあまりに活発で、あるいは律動的で、あるいは無反省な動きのなかでしか可能ではない観念」が自然と散文とは異なる形態を伴っていくというわけ。
ヴァレリーは続けて、「この瞬間は行為であると同時に夢なのだ。舞踏は、わたしをここからあそこまで移動させることを目的とはしていない。純粋な詩句や歌も同様である」とも述べたが、それは行為が「わたし」という主体の占める場所に取って代わり、行為の最中で「わたし」を見失い、それまでとは別の場所に再び「わたし」を見つけるという、喪失と回復とが詩にはつきものなのだということではないだろうか。
逆に言えば、最初に計画を立ててそのあとをついていくのであれば、それは詩ではなく説明文であり、例えば青い鳥を探しに行くというおとぎ話もまたそこでは成立しないのだ。
その意味で、今週のいて座もまた、平板な言葉の記述ではなく思い切った主体の飛躍を試みていくことになるだろう。
いて座の今週のキーワード
人生山あり谷ありモハメドアリ