いて座
博奕と暴力
矛盾こそが博奕の本質
今週のいて座は、「冬山に僧も狩られし博奕かな」(飯田蛇笏)という句のごとし。あるいは、深い矛盾を抱え込みつつもたたかい続けていこうとするような星回り。
冬枯れの山で違法の博奕を打っているところを、巡査かなにかに嗅ぎつけられて一網打尽にされた。その中には坊主も混じっておったそうな――という昔話や小説仕立ての一句。
どんな博奕であれ、博奕である以上は「必勝法」は存在しないものですが、代わりに「必敗法」と呼ばれる摩訶不思議なものが存在します。こうすれば必ず負けるという、打ち手やプレイ方式をシステム化していったものを指す訳ですが、そうして極端な奇跡でも起こらなければこうすれば負けるという選択や条件のパターンをできるだけ学んで打ち立てた「必敗法」をすべて排除していけば、「必勝」とはならないまでも、賭け手は確率という不利を背負いながらも何とか博奕をたたかい続ける余地がうまれるのです。
そうして、どう考えても普通負けるだろう勝負でしぶとく奇跡を待ち続けることができることを俗に「博才」と呼ぶのだと思いますが、博奕というのは科学的でなければ生き残れない半面、科学的なだけではやはり生き残れない。矛盾こそが博奕の本質なのです。
掲句もまた、そうした矛盾を地でいくような、山村らしい力強い感じが呼び起こされる句と言えますが、18日にいて座から数えて「因縁事」を意味する8番目のかに座で満月を迎えていく今週のあなたもまた、そうしたしぶとさや勝負強さを大いに発揮していけるはず。
“カモ”をやめる
村上春樹はそれまでの作品と異なり8作目の長編小説『ねじまき鳥クロニクル』において、“バットで頭をたたき割る”というかなり暴力的な行為をはじめて登場人物に取り入れました。
英訳を担当しているジェイ・ルービンも村上に「どうしてあんなにひどい暴力が出てくるんだ」と問い質したそうですが、村上によればこれはかなり意図的なものだったようです。
というのも日本の場合、あの大戦争ということがあったため、かなり急進的に平和ということが推し進められ、また和というものに異様にこだわりすぎてきたために、暴力に関してかなり抑圧的になってしまい、暴力=悪ということが固定的に捉えられるようになってしまいました。
けれど「平和の時代」などと言い出す前は、日本も滅茶苦茶やっていましたし、じゃあ社会も滅茶苦茶だったかと言うとそうではない。そこにはある程度のルールが成立していたのですが、現代では暴力に関するルールということさえも感覚的に分からなくなってしまったし、下手に口にすることさえできないという状況があるのではないでしょうか。
ただ、暴力の本質にあるものは、狩猟であれ採集であれ農耕であれ、生き延びるためには必要であり、そういうものは本来誰しもが持っている訳で、それを完全に失ってしまえば単なる“いいカモ”なんです。その意味で、今週のいて座もまた、暴力というものを単に「こういうものですよ」と説明するのでなく、自分なりの人生ストーリーのなかで、その真の発露を模索していくべし。
いて座の今週のキーワード
たたかい続けるために