いて座
エレベーターもいつかは止まる
下と中
今週のいて座は、南米の密林に放り込まれたまだ幼い兄弟のごとし。あるいは、「地に足をつけていく」ということを自分なりに徹底していこうとするような星回り。
恩田陸のファンタジー小説『上と外』では、主人公の日本人兄妹がヘリコプターから放り出されて密林に落ち、視界ゼロの緑の世界、「上」を失った世界を子どもながらもアウトドアの技術を駆使して通り抜け、やがて地底深くに竹の根のように張り巡らされた古い神殿の迷路の中で行われる「成人式」に巻き込まれていきます。
ジャガーが徘徊する地下神殿の中で道に迷い、「外」を完全に失った2人は、飢えや渇き、勘といったみずからの身体との対話を続けつつ、試練をくぐりぬけるなかで、兄の練は「人に見られている自分でもなく、自分が考えている自分でもなく、ただ一歩ずつ壁を登ってゆく、物理的にも精神的にもぴったりとずれることなく重なり合った、まさに等身大としか言いようのない、そのまま一人きりの自分がいるのだ」と思い、一方妹の千華子は「ジャングルに放り込まれてからというもの、いちいち落ち込んだり悩んだりしている暇がなくなって」「どんな目に遭っても、前進するためには頭を切り替えて考えることが大事なのだ、落ち込んだり悩んだりしている時間があるというのは贅沢なことなのだ、ということが身体に刷り込まれて」いったり、「感情を爆発させるという行為には鎮静作用があって、なぜかは分からないが、そのあとで考えたことはそれ以前の自分よりも進んでいるような気がした」という境地に至ります。
同様に、12月29日に拡大と発展の星である木星が、いて座から数えて「現実の最下層」を意味する4番目のうお座へと移っていく今週のあなたもまた、どうしても視線による俯瞰と浮揚からのみ世界を体験していきがちな現代社会において、いかに身体性を伴った「下と中」の体験を取り戻していくことができるかが問われていくでしょう。
『新世紀エヴァンゲリオン』の沈黙と下降
『エヴァ』のじつに象徴的なシーンの一つに、主人公の碇シンジと綾波レイが、生物兵器エヴァンゲリオンに搭乗するために地下基地に降りていく場面があります。
彼らはいっさい言葉を交わさず発せず、ただひたすらに地下に降りていく。おそらく1分近く画面がまったく変化しないため、見ている人の中にはフリーズしたかと勘違いする人もいたでしょう。ただ、それがエレベーターの乗り込む場面と降りる場面にサンドイッチされていることで、はじめてその沈黙の深さに思い至ることになる訳です。そして、こうした果てしない下降感覚というのは、多くの現代人がそこはかとなく共有しているものであり、近年の生活様式の変化によってますます深まってきているのではないでしょうか。
どこまでも降りていくことによって開かれてくるもの。それは、どうしようもないほどの無明感情であり、エヴァ的に言えば「堕天使の哀しみ」であり、「自分はどうにもならない」、「救われない」、「生まれてこなければよかった」、「生きていてもつらいだけ」、「誰からも普通扱いされない」、「普通の人間でなくなった」などといった苦悩の感情であるはず。
今週のいて座もまた、いたずらに言葉を重ねこねくり回すかわりに、不要不急な言葉はなるべく伏せて、それらの背後にある根本的な感覚をこそ深めてみるといいでしょう。
いて座の今週のキーワード
どうしようもない救われなさの徹底的な自覚