いて座
エモ山エモ太郎
こちらは10月18日週の占いです。10月25日週の占いは諸事情により公開を遅らせていただきます。申し訳ございません。
厳密な説明ならいらない
今週のいて座は、「月ありと見ゆる雲あり湖(うみ)の上」(清原枴童)という句のごとし。あるいは、体験知から自然と生まれてくるものを大事にしていくような星回り。
一見なんてことない素朴な句のように見えますが、実際に視線をたどる経過を確認してみるとじつによく出来ている秀句。
ある湖の上に夜の空がかぶさっており、雲がかかっているのではっきりとはしていないけれども、月のある晩のことであるから、薄ぼんやりと明るい。そして、あるところの雲を見ると他と比べて特に明るいので、恐らくはその辺りに月があるのだろう、というのです。
これをもし、「あの雲のかげに月あり湖の上」などと、あくまで月の居場所にこだわって詠んでいたなら、ただの説明となって句全体の印象もずっとうすかったはず。
見えている光景を自然に感じながら、次第にその「感じ」に奥行きが与えられていくことで初めて、想像力は活発にはたらいていく。作者はそのことを頭で理解していたというより、手や肌感覚で体得しており、掲句も自然に生まれたのでしょう。魂が動くような句というのは、必ずそうした体験知から結果的に生まれてきたものなのです。
20日にいて座から数えて「主観の深まり」を意味する5番目のおひつじ座で満月を迎えていく今週のあなたもまた、客観的で科学的であるかどうかより、いっそ自分なりの「エモさ」を追求していくべし。
「方言」への回帰
明治の言文一致運動は「話し言葉を書き言葉として定着させるもの」でしたが、それだけ聞くと、ごく当たり前のことようにも思われます。
けれど、明治やそれまでの日本では、話し言葉は一つではなかった。土地土地の生活や、身分に応じた生育環境を反映させる言葉をしゃべっていたのであり、お国言葉や訛りなどないはずの東京に生きる人々は、さまざまな方言を話す異なる人種の集合体だった訳です。
つまり、言文一致運動とはそれまで必ず何らかの形で日本人が背負ってきた「生活属性」を捨てることで、「普遍的な語り手」にならんとする試みに他ならず、そしてその「誰でもない人間」の性別は暗黙裡のうちに男に設定されてきたのです。
標準語を駆使してよりよい「語り手」になることは、「誰でもない人間」に同化することに他ならず、近代的なパースペクティブがさまざまなところで行き詰まり、破綻してきている今の時代において、「通りのいい言葉」である言文一致的な標準語は、ある種の「拘束具」と化しているのではないでしょうか。
今週のみずがめ座もまた、自分の身の丈に合わせた、自分にとって心地よく感じる言葉を少しでも作りなおしていくことがテーマとなっていきそうです。
いて座の今週のキーワード
拘束具から脱する