いて座
いかんともしがたい受動性
吉野弘の「I was born」
今週のいて座は、「やっぱりI was bornなんだね」と話しかけた少年のごとし。あるいは、アイデンティティを他者との関係性のなかで捉えなおしていこうとするような星回り。
吉野弘の「I was born」というよく知られた散文詩があります。「英語を習い始めて間もない頃の」の「少年」とその「父」との対話を軸にしたこの作品では、ある夏の夕方、少年が父と一緒にどこかの寺の境内を歩いていると、むこうから妊婦がゆっくりと歩いてきます。
少年は思わずその妊婦のお腹に視線をとめ、そこにうずくまっているだろう胎児のことを想像し、やがてその胎児が生まれ出てくる不思議さに打たれつつも、そこで生まれるということがまさしく「受け身」である理由をふと了解するのです。
―やっぱりI was bornなんだね―
父は怪訝そうに僕の顔をのぞきこんだ。僕は繰り返した。
―I was bornさ、受身形だよ。正しく言うと人間は生まれさせられるんだ。自分の意志ではないんだね―
確かに自我とか理性といった次元ではなく、「生命」ないし「身体」的存在として自分自身を捉えるとき、そこにはいかんともしがたい受動性がつきまとうことに気が付きます。
13日にいて座から数えて「与えられたもの」を意味する2番目のやぎ座で上弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、自分では制御できないような何かが、自身を圧迫するようにして充填されているという感覚に思い当っていくことになるかも知れません。
生かされてきた実感
私たちは生きるということを、どこかで時間の経過に従って何かしら経験や価値や資産が増大していくものであり、そうあるべきと考えてしまうところがあるように思いますが(だからこそ老いや衰えを資産の減少と考えありえない事態と感じてしまう)、与えられた「生命」を生きているという視点から考えれば、実際にはみな平等に刻一刻と残りの生き時間が引かれているだけなのだとも言えます。
そして、そういう自覚が深まっていくなかで初めて、ただより多くたくさんの価値を取り入れようとするのではなく、必要な分だけ取り入れ、余った分は周囲に分配していくという発想が自然に生まれ、結果的に、慎ましさやユーモアといったものが本人の佇まいに立ち現れてくるものなのではないでしょうか。
その意味で今週のいて座は、深く静かに呼吸を整えつつ、何か自分を包む大いなるものに生かされてきた恩恵と幸運にそっと思いを馳せていきたいところです。
いて座の今週のキーワード
たえず外部から「他者」を取り込まねばならない「私」として