いて座
離見の見
「もう一人の自分」としてのホームレス
今週のいて座は、「放浪の焚火を夜の燈(ひ)となせり」(山口誓子)という句のごとし。すなわち、かすかな違和感を確かな問いかけへと練り上げていくような星回り。
ホームレスに取材して詠まれた句。近代化へと一直線に進んできた戦後社会の歴史において、夜の街を寝床を求めてさまようホームレスたちの存在は次第に影をひそめ、その存在自体がまるではじめからなかったかのように扱う行政の態度を、私たちはどこかで当たり前のこととして受け入れつつあるように思います。
その意味で、掲句は社会から居場所を失いつつある人たちの、とうに失われた実感をきわめて生々しく描写したルポルタージュのような作品とも言えます。
あるいは、掲句は自然界が作り出す時間や空間から切り離され、単なる無機質な物体としてそこに否応なく存在させられていることへの作者なりの違和感の表明なのかも知れません。
見慣れた道端に突然ホームレスの人が現れればギョッとするかも知れませんが、この自然界において真に異様で、不気味な存在としてあるのは、一体どちらなのでしょうか。
10月6日にいて座から数えて「中長期的な見通し」を意味する11番目のてんびん座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、根本的な軌道修正にひとつ取りかかってみてはいかがでしょう。
一個の巨大な疑問符となる
かつて「馬は死後何になるか?光の馬になるに決まってる」と言った人がいましたが、これが自分のこととなると、さっぱり分からなくなります。それに、確かに死ねば文句はないのですが、死ねないことが問題というか。
われわれは醒めても醒めてもなお醒めなければならず、そういう永劫の悪夢の中にポイと放置されているかのようでもあります(その意味でわれわれ皆ホームレスのようです)。
それでも日が暮れて、冷たい風が吹き、空に無数の星々が瞬いているのを見かける頃には、束の間のあいだ精神は記憶の上澄みのように透きとおって、これまで見えていなかったものが見えるようになるはず。そういう時の、ニュートラルで、ごまかしのない眼差しが、今週は凄味を増して力強く現れてくるでしょう。
いつもなら目の前を素通りさせている現実や、気にも止めていなかった関係性の中に、何か引っかかるものがないか。あるいは、ここのところ忘れていたような長年の疑問をほどくヒントがあたりに転がっていないか。するどく、はげしく、心のままに、問うてみてください。
いて座今週のキーワード
自分で自分を見下ろす