いて座
素朴に、力強く
異端的正統派
今週のいて座は、「月に飽く夜道を寒き欠びかな」(佐久間法師)という句のごとし。あるいは、異端を恐れず人としてあるべき姿勢を追求していくような星回り。
月のいい晩に、夜道を戻って来ている。はじめは月の清らかな光に浮かれるような心持ちもあったけれど、次第にそれにも飽きてきて、退屈さゆえか寒さゆえなのか分からないが、しきりにあくびまで出てきた、というのです。
やたらと風流がる人ほど、秋の季節の満月に関しては、否が応でもそれを面白がらなければならないといった伝統にがんじがらめになりがちなものですが、掲句のような反応をあえて句に詠んでみせたのは、それもまた月並な反応でおもしろくないよ、ということを言いたかったのかも知れません。
これは燃えるような熱情とか、鋭く突き殺すような批判精神といったものとは異なれど、かといって単なる冷淡や無関心といったものではなく、むしろ、極めて素朴でありながら、底のほうに静かで深い情を湛えたものなのではないでしょうか。
9月23日にいて座から数えて「まっとうな反応」を意味する11番目のてんびん座へ太陽が移る秋分を迎えていく今週のあなたもまた、情緒ということの機微を自分なりに深めていきたいところです。
海の老人
掲句の作者と似た素朴で深い情緒を感じさせる人物として、他に例えばヘミングウェイの『老人と海』に登場する漁師の老人サンチャゴが挙げられます。
彼はオワコンだと思われていたわけですが、物語の最期には見事巨大カジキをつり上げ、その成果(骸骨になってしまいましたが)をもって港に凱旋してきました。それは彼に憧れを抱き、みずから助手を買って出た少年にとっても、さながら聖人を描いた宗教画のごとく忘れがたい光景になったはず。
じつは『老人と海』には、老人サンチャゴをどこかイエス・キリストと二重写しに描く意図を明らかにしているような表現がいくつか出てきます。たとえば、出港から沖合での巨大カジキとの死闘を経て帰港するまでの期間が3日間だったのも、「死と三日後の復活」と重ねられている、といったように。
今週のいて座もまた、あなたの中の不器用にしか生きられない部分が、何に対して、何のために命を賭けようとしているか。その動機付けに応じた「復活」はどんなものとなるか、自分なりに思い描いてみるといいでしょう。
いて座の今週のキーワード
純粋であること