いて座
足腰を鍛える、的な
上半身は力を抜こう
今週のいて座は、「夕暮も曙もなし鶏頭花」(太田巴静)という句のごとし。あるいは、なんのひねりもない一手にあえておのれを賭けていくような星回り。
作者は江戸中期の俳人。江戸から明治にかけての俳句には、題材を余計な観念を交えず、ただ素朴にあっけらかんと描いてみせたものが多いのですが、掲句はその典型の一つと言えるでしょう。
ニワトリのトサカに似た赤い花を地面から直立させて咲かせる「鶏頭(けいとう)」の花は、夕暮れ、すなわち日が暮れようが、曙、すなわち夜が明けようが、関係なし。ただひたすらにそこに立っているだけだと言うのです。
あまりにストレートな表現なのですが、そうした素朴な描写が、かえって天に突き上げたひとつの拳や、そこに宿った情熱のような鶏頭の姿をありありと想像させてくれているように思います。
その意味で、下手に技巧や理論武装に走るのではなく、素朴に、けれどきちんと時間をかけて丁寧に、自分が感じていることを言語化していくことの大切さを、掲句はさりげなく現代の私たちに教えてくれているのではないでしょうか。
9月7日にいて座から数えて「取り組むべき課題」を意味する10番目のおとめ座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、然るべき事柄や対象に持ち前の「率直さ」を向けていくことがテーマとなっていきそうです。
才能から素朴へ
芸能界であれ、文芸の世界であれ、どんなジャンルであっても、一瞬の輝きを放った後に表舞台から消えてしまう‟才能ある新人”という存在は、いつの時代も後を絶ちません。
それは他の誰もやったことのないユニークな試みというのが、ギリギリまで追い詰められた個人から発されたケースであり、これはある意味で、今のいて座が目指しつつある方向性とは真逆のものと言えるでしょう。
例えば、山梨の山中に暮らし俳句を作り続けた飯田蛇笏や、地元の秩父を愛した俳人の金子兜太のように、自分に合った土地とつながり、その土地の力を直接を受けて原動力にできた人というのはやはり理屈を超えた強さがありますし、小手先の方法論に頼る他ない人間と比べて、活動の息も太く長いものになっていくように思います。
「他にはない華がある」「才能がある」「光っている」など、そうした使われる誉め言葉に自分を重ねていこうとするのはもうやめましょう。
今週のいて座は、たとえどんなに不器用で素朴なものであっても、泥臭く自分の日常を掘り下げていくことの大切さが、身に沁みてわかっていくタイミングなのではないかと思います。
いて座の今週のキーワード
定住場所の地層を掘り下げる