いて座
美しい野獣であれ
人間的無知を脱け出す
今週のいて座は、分かりやすさの罠を脱け出す獣のよう。あるいは、難しいことを分かりやすく説明した時に、どうしても抜け落ちてしまうものをこそ大切にしていこうとするような星回り。
世界的な大数学者である岡潔と、日本を代表する批評家である小林秀雄のあいだで交わされた対談集『人間の建設』の「人間と人生への無知」という章のなかに、次のようなやり取りがあります。
岡「…時というものがなぜあるのか、どこからくるのか、ということは、まことに不思議ですが、強いて分類すれば、時間は情緒に近いのです。」
小林「アウグスチヌスが「コンフェッション(懺悔録)」のなかで、時というものを説明しろといったらおれは知らないと言う、説明しなくてもいいというなら、おれは知っていると言うと書いていますね。」
岡「そうですか。かなり深く自分というものを掘り下げておりますね。時というものは、生きるという言葉の内容のほとんど全部を説明しているのですね。」
注目すべきは「説明」と「知らない」いう言葉の使い方であり、おいそれと人に説明することなんかできないという境地をきちんと大事にしているかどうかを、岡が「かなり深く自分というものを掘り下げて」いるという風に捉えている点です。
8月30日にいて座から数えて「省察」を意味する7番目のふたご座で形成される下弦の月から始まる今週のあなたもまた、本当に危ないこと、知っておくべきことを再確認していくことになるでしょう。
真似ることに馴れてはいけない
ただ注意しなければならないのは、上記のやり取りにインスパイアされるということと、上記のやり取りをただ真似るということは決定的に違うのだということ。例えば、俳句の世界では師弟関係が強く残っていますが、一方でその弊害をいかに避けるかという問題意識も同じくらい強く、その勘所について俳人の稲畑汀子さんは次のように書いていました。
人の作品の一部を貰ったり、真似事をしたりすることに馴れてしまうのは恐ろしい。自分の発想がたまたまそのようなことに当てはまったならば、それらは潔く捨てなければならないであろう。すでに、これまで作られた俳句は限りなく多いと思う。同じ発想を持つ人はたくさんいるのではないかとも思う。自然に同じ発想の句が出来たなら、それは潔く自分の句帳にだけ残しておくのもいいが、私は自分の句帳からも消して仕舞うのがよいと思っている。(「俳句随想」、2015年8月)
この「潔く捨てなければならない」ということが、誰も見ていないところで実際に出来るかどうかが、今週のいて座のひとつの分かれ目になっていくでしょう。
いて座の今週のキーワード
ケンタウロス族の賢者ケイローン