いて座
現を抜かす
YOASOBIの歌
今週のいて座は、唐代の自然詩人・孟浩然(もうこうぜん)の風流のよう。あるいは、俗世の煩わしさから離れてディープな遊びにかまけていこうとするような星回り。
同時代の有名詩人である王維や李白、杜甫などより一回り年上で、尊敬され慕われていた人物こそ孟浩然でした。彼は役人になるための科挙に受からず、世間的には不遇の一生を送りましたが、年下の詩人たちからはその人柄や才能を愛され、孔子の「夫人(ふうし)」という弟子たちからの呼称になぞらえ「孟夫子」と呼ばれていました。
李白が孟浩然に贈った詩のなかに「風流天下聞こゆ」とあったように、彼は俗世間的なことにわずわらされず、自由奔放に生きて詩歌や芸術の世界に浸っていく、スケールの大きさで世に知られ、当代一の風流人とされていたのです。そんな彼の最も有名な漢詩が「春暁(春の明け方)」でしょう。
「春眠 暁を覚えず
処処 啼鳥(ていちょう)を聞く
夜来(やらい) 風雨の声
花落つること 知る 多少ぞ」
冒頭、いつ夜が明けたのかわからないという寝起きから。「処処(しょしょ)」とは「あちらこちら」という意味で、前半二句は朝の光景。三句の「夜来」は夜になるといい香りを放つ花のこと。ここで場面を転じて昨夜のことを詠い、最後の四句目で全体を結ぶ。ちなみに、この「多少ぞ」は「どれくらい(花が散ったの)だろうか?」という疑問形であり、簡潔ながら余韻を豊かに味わうことができるはず。
20日に太陽がいて座から数えて「自己投機」を意味する5番目のおひつじ座に移動し、春分を迎えていく今週のあなたもまた、たまには夜遊びにうつつを抜かしてみるのも悪くないでしょう。
自分にとっての最高の享楽とは?
唐といえば7~9世紀で、日本でいえば飛鳥時代・奈良時代・平安時代初期にあたりますが、本当の意味で豊かであるということは、今の時代にはいったい何を意味するのでしょうか。今週はそんな問いが、自然と浮かんできやすい星回りとも言えるかも知れません。
とはいえ、それは深刻な自問自答に陥っていくというより、あえていったん徹底的に「享楽」の追求を図っていくこと(というか、そういう形で転換するしか現代人の精神は霊的なものを解釈できない)がテーマとなっていくはず。
視野を広げ、他者に開かれ、少しずつ「享楽」が深まっていく感じを掴んでいく中で、そっとみずからの生き様を振り返ってみること。今週はきっとそういった根本の部分にサッと光が差し込んでくるでしょう。
今週のキーワード
ディープ・プレイ