いて座
言葉を噛みしめつつ
ひるがえる飛燕
今週のいて座は、「一生の手紙の嵩(かさ)や秋つばめ」(田中裕明)という句のごとし。あるいは、なんとはなしにみずからの来し方行く末に思いが広がっていくような星回り。
45歳の若さながら白血病で亡くなった作者晩年の句です。手紙は、伝えたいたくさんの思いがあってしたためられるもの。
「一生の手紙の嵩や」という言い方には、長寿をへて死への諦念を迎え入れていく人とはまた別の無念の思いが滲み出ているように感じます。
ベッドの上で気が付くと悲痛な思いに駆られている自分自身を、はるかな南の国へ帰ってゆくつばめが越えていく。
作者の脳裏には、手紙の一通一通につづられた思いや、刻まれた月日のことが飛燕の如くよぎっていったに違いありません。おそらく、多過ぎもしなければ、少なすぎもしない。それくらいの嵩であることが、余計に心惜しさを引き立てます。
23日に太陽がさそり座に入ると同時に、いて座から数えて「言葉のもつ射程」を意味する3番目のみずがめ座で上弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、現在を中心に過去と未来へ触れていく言葉の振れ幅を可能な限り開いていくことがテーマと言えるでしょう。
言葉の裏に秘めるもの
病床で静謐な最期にある作者とは一見対極にあるような日本のアンダーグラウンドシーンのなかにも、じつはある種の「悲痛さ」に裏付けられた言葉を見出すことができます。
1950年代から80年代にかけて日本のアンダーグラウンドに大きな影響を与え続けた寺山修司の言葉を、ここで3つほど引用してみましょう。
「僕は恥ずかしき吃り(どもり)である。だが、吃るからこそ、自分の言葉を、自分の口の中で噛みしめることができるのだ。(『書を捨てよ、町へ出よう』)」
「歴史を変えてゆくのは、革命的実践者たちの側ではなく、むしろ悔しさに唇をかんでいる行為者たちの側にある。(『黄金時代』)」
「ダンス教室のその暗闇に老いて踊る母をおもへば 堕落とは何?(『テーブルの上の荒野』)」
彼の言葉には、いつも隠れた疑問符がついてまわっているように感じますが、それは与えられた幸福で人生への疑問を塗りつぶすような真似を、彼が決してしなかったからでしょう。そうしたブレない一本の筋を言葉の裏に秘めていく感覚は、今週のいて座もまた見習っていきたいところです。
今週のキーワード
隠れた疑問符