いて座
もっとうろうろしていこう
失われた右クリックを求めて
今週のいて座は、右クリック機能の回復のごとし。あるいは、現実を右クリックするための回路を開いていくような星回り。
思えば、スマートフォンの登場は多くの人の行動パターンと思考回路を決定的に変えてしまいました。画面と入力装置と通信が一体になるなんて誰も予想していませんでしたから、それによって情報アクセスが格段に容易になってしまったのもある意味で当然の成り行きではあるのですが、一方でそんなスマートフォンの登場によって失われてしまった機能もあまた存在します。
無論、そのほとんどは無駄や面倒が占めている訳ですが、そうでないものとして恐らく筆頭に挙げられてくるのがマウスの右クリックではないでしょうか。
インターネットで未知の情報と直面した際、「検索」でとりあえず意味を調べたり、「ソースを表示」でその裏側や台本を盗み見、「ファイルを保存」で少しだけイケナイ気持ちになったり。未知をいったんカッコに入れ、さまざまなコマンドを開ける右クリックは、その操作だけでどこか気持ちが昂ぶったものですし、言い方を変えれば、そこにはどこか効率や最適化とは別の“情緒”がありました。
5月30日にいて座から数えて「役割の回復」を意味する10番目のおとめ座で、上弦の月(行動の危機)を迎えていく今週のあなたもまた、いつのまにか自分が切り捨ててしまった失われたコマンドを改めて呼び出し、かつてあった情緒を温めていくことがテーマとなってくるはずです。
「有漏」から「無漏」へ
明確な目的を持たずにあちこちをほっつき歩く「うろうろ」の「うろ」とは、本来「有漏」という字をあてる仏教用語なのだそうです。
「漏」は穢れや煩悩の意で、あれかこれかと悩み惑い、決断しかねて迷っていく中で、時に人は自分がどこへ向かっているか、またそこへの道のりさえも忘れてしまう。これが「有漏」なのです。
ただし、それが行き尽くところまで行ききって、迷いがなくなるまでうろうろしきってしまうと、今度は反対に「無漏(むろ)」となり、人は安心して旅路を先に進め、目的地にたどり着くことができる。
つまり、気が済むまで「うろうろ」できない人はいつまで経っても目的地に落ち着くことができないのだとも言えます。
ネット上の未知に限らず、人はしばしばありのままの現実をそのまま受け入れることに耐え切れず、何らかのストーリーをつけようとしますが、先の「右クリック」というのも、そうしたストーリー・メイキングに欠かせない所作だったのではないでしょうか。
まだ「その時」が当分先であるならば、まずは悩みが尽きるまで、ひたすらにうろつき回るだけの覚悟を決めていきたいところです。
今週のキーワード
煩悩が昇華されたものとしての情緒