いて座
諦観になど至っていない
未練を燃やす
今週のいて座は、「死ぬものは死に行く躑躅燃えてをり」(臼田亜浪)という句のごとし。あるいは、淋しいけれど仕方のないこととして大事なものを処理していくような星回り。
躑躅(つつじ)は桜が散ったあと、公園や街路を彩る花であり、赤い躑躅は火のように群れ咲く。
掲句において、作者は死ぬものをとどめる術はなく、生まれたものは必ず死ななければならないとして、おそらく身近に亡くなった誰かの死に触れて悟ったようなことを句にしているが、そこには真の諦観は感じられない。
「死ぬものは死に行く」と畳みかけながらも、それを「躑躅燃えてをり」へと繋げるところなどは、死への反感と言うよりむしろ未練がましいものさえ感じてしまうが、ただそれゆえに実際の死に触れた人間の人間臭さのようなものがそこに結晶化しているのだとも言えるのではないか。
迷いや感傷はあれど、それを一息で詠みあげていくことで、なんとか耐えきろうとしているのかも知れない。たしかに土壇場での人間の心情とはそんなものだろう。
23日にいて座から数えて「始末の美学」を意味する6番目のおうし座で、新月を迎えていく今週のあなたもまた、抑えがたい情念といかにナシをつけ、自分なりの流儀を貫いていきたいところ。
淋しさの区別
遊びであれ、仕事であれ、恋愛であれ、態度に未練を残してしまう人というのは、自分で思っているほど自分が演じようとしている役柄にハマり切れてないのではないだろうか。
そういう人は向きあう対象や演じている役柄のことなど本当はあまり関心がなく、ただ「淋しい」のだ。自分が感じている淋しさに囚われてしまって、それしか見えていないか、どうしてもそこから目を逸らせない。
「淋しさ」という言葉を辞書で引くと、「あって欲しい物がない、居て欲しい人がいない、などの理由で物足りなさやつらさ、心細さなどを覚えるさま」と出てくるが、あって欲しいものも居て欲しいものもはっきりしていない淋しさというものもある。
そういう淋しさは打ち消そうとしても決して打ち消すことはできない。ただ、それとなく付き合っていくしかないのだ。
今週は、そうした淋しさの対しての区別を特に心がけていきたい。
今週のキーワード
赤い躑躅