いて座
影を見つめる
批評と研究の違い
今週のいて座は、まだ価値が定まっていない絵を見たときの美術批評家のごとし。あるいは、自分が行けるぎりぎりのところを見定めていくような星回り。
批評は英語でクリティーク。縁(ふち)のことであり、ここから先に行くと落ちてしまうというギリギリのところで、いいか悪いか賭けみたいなことをしていく行為こそが、批評の本質であり、客観性がないといけない学術論文に基づく研究とは決定的に異なります。
極端な言い方をすれば、絵は個人が勝手に描いているものであって、そこに決まった答えなどなく、自分がいいと思ったらいい、そんなまったくの主観の世界であります。批評もまた文芸という自己表現の一分野ですから、客観性とは真逆の営みと言えます。
ただ、逆に言えば、例えば絵だったら絵の批評家がいちばんその腕を試されるのが、何ともよく分からない絵を前にした時でしょう。
果たして、いいと言えるかどうか。すでにいいと言われているものをいいと言うのは批評とは言えませんし、少しでも「今までのものと違うけれど、いい」と思ったのなら、なぜそう思うのか、その背景を追究していくことこそが、最終的に批評の読み手を納得させるはずです。
その意味で、19日(水)に太陽がいて座から数えて「背景」を意味する4番目のうお座へと移っていく今週のあなたもまた、自分の価値観やたたずまい、人生の歩みの根底にあるバックボーンについて改めて意識させられていくことになるでしょう。
滲み出すものとしての影
ひとつの文字や1行の文章にも影があるように、どんな人生にも歩んできた道のりの分だけ影があるものです。
それは人によって長い長い「言いわけ」であったり、逆にあえて言わずに積み重ねてきた「沈黙」であったりとさまざまですが、いずれにせよそうした影は放っておけばいつしか所有者を蝕むようになり、ついには影の方が主人となる立場逆転の危機を迎えることになります。
あるいは、放っておいてはいけない影に執着し、愛着を覚えるようになるケースもあるでしょう。それもまた人間の姿なのです。
ある絵をいいと思うのは、その人が‟素の自分”に帰るときでもありますが、最近忙しくて内面を見つめる時間がなかったという人は、特に注意してみるといいでしょう。
その忙しさは、内にある影から逃げ出すために自分でこしらえたものなのかも知れません。
今週のキーワード
マニュアル化された見方は知識のひけらかしになりがち