いて座
外から内への道
異人と出会う村の巫女
今週のいて座は、提灯もって橋を渡ってゆく女の子。あるいは、いったんは踏み越えかけた境界線の向こう側から日常へと戻ってくるような星回り。
そっちへ行っても月見草は咲いてないよ、今はもう秋だから。と歌ったのは誰だったか。いまいち記憶がおぼつかないが、そこに流れる何とも言えないノスタルジアはどこか今週のいて座の星回りにも通底しているように思われる。
日本では古くから各地で「行き逢い坂・行き逢い橋」という説話が伝えられてきたが、これはある土地の神と異なった処の神とが出会ったところでその領土の境を決めるという話と、巫女の資格をもった村の女が周期的に巡りくる異人すなわち神を迎えに行く祭祀儀礼とが一つになったものとされている(折口信夫『女房歌の発生』)。
つまり、女はそこで自分の生きる世界を囲う境界線を定めて、再び村へと帰ってくるのだ。かつての時代では、人間は神とじかに交通する時空間を「祭り」において保っていたが、野山の精霊を信じられなくなった現代においてそれは実に稀な現象となってしまった。
ただ14日(月)早朝に、いて座から数えて「根源的喜び」を意味する5番目のおひつじ座満月から始まっていく今週に関しては、普段自分が生きている現実が特別に守護されたものだったのだという感覚を取り戻していくことができるかもしれない。
対照的な例としてのお伊勢参り
私たちには、光明をどこか“外”へ求めていくことによってはじめて“内”にあるものへ目を向け直していくことができるという、実にじれったい特性があります。
これを逆さにして言うならば、“内”にあるものを知りたいのなら、いったん自分を“外”へと連れ出してくれる道を見つけなければならないのです。
『東海道中膝栗毛』の弥次さん喜多さんでも有名な、江戸時代に大流行した「伊勢参り」も当時はそんな道の代表格だったのでしょう。
当時はただの観光目的では旅行は認められていませんでしたから、「寺社への参拝」という表向きの理由が必要だったという事情もありましたが、いずれにせよそれは経済的にも、精神的にも、一生に一度の大旅行でした。
日常からここではないどこかへ脱出するための旅路につくということは、神秘学でいう「弟子たる準備が整った」ことの証しであり、その旅路の途上で光明を開いてくれるような師たる先達と出会う僥倖は、それなりの犠牲が強いられたのです。
今週のあなたもまた、何かを強く求めることと、何かを失うことの表裏一体を、まざまざと認識させられていくことになるかもしれません。
今週のキーワード
霊との交通と出会いの場としての境界線