いて座
分岐点における作法
死線は何度も越えるもの
今週のいて座は、「ふとわれの死骸に蛆のたかる見ゆ」(野見山朱鳥)という句のごとし。あるいは、死線を越えてきた経験をまたさらに越えていこうとするような星回り。
「見ゆ」は「見える」の意味の古語で、前期万葉集の歌などにも多く見られるもの。そしてこの表現は、自然との交渉におけるもっとも直接的な方法のひとつであり、意識を向けた対象とのなかで融解を体験していくための呪術としての性格を持っていました。
ただ、掲句の場合はふと見えてしまった景色が、すでに自分が死んでしまっているその死骸の有り様だったというところが普通ではないところ。
しかも作者が見たのは病室で家族に見守られている訳でも、畳の上で安らかに息を引き取るのでもない、思いがけない災難で突然迎えた横死、いわゆる野垂れ死にした自分の姿でした(そうでなければ蛆がわくほど放置されることはまずない)。
作者はそうした幻視体験をへることで、もう気が遠くなるほど先までは残されていないであろうみずからの余生の濃度がより濃厚になっていることを感じたはず。
そして今週のいて座のあなたが打ち破るべき第一のものもまた、何事もなく過ぎていく日常が今後も変わることなく続いていくであろうという自己催眠であり、最悪の事態の想定そのものまで避けようとする臆病さでしょう。
逆に言えば、どんなに突拍子もないものであれ、あなたに最悪の事態を想像させてくれるものがあるならば、積極的にそれを受け止めた上で、あまり深刻になり過ぎないことです。
自分が入れ替わるとき
隆慶一郎原作の『影武者徳川家康』では、主人公であるはずの徳川家康が実は関ヶ原の戦いで開戦早々に暗殺されてしまい、その場の機転で影武者と入れ替わり、そのまま徳川家康として生き続けていくというところから物語が始まっていきます。
影武者の名は、世良田二郎三郎元信。もともとは芸能や各種専門技能に携わりつつ全国を自由にさすらう「道々の輩(ともがら)」という賤民階級の出身で、ひょんなことから拾われて家康の影武者を10年間つとめた末の交代劇でした。
もちろんこの作品はあくまでフィクションではありますが、名前は以前とまったく同じでも、中身はまったくの別人へと変わってしまう機会というものは、人によっては人生には何度か用意されているものなのかもしれません。
今週のいて座はそんな人生の分かれ道へと、不意に出くわしていくような気配がしてなりません。
今週のキーワード
別人になり代わる