いて座
私は私であって私でない
運命愛の実践
今週のいて座は、予期せぬ神々の到来のごとし。あるいは、自伝を生誕から現在まで年代順に書き進める‟近代的時間”通りの展開にのらない、自己に関する自由な展望を切り開いていくような星回り。
ニーチェ最後の作品に「この人を見よ!」という自伝的小品があります。読者はまずページを開くと、各章のタイトルに驚くことでしょう。
「なぜ私はかくも賢明なのか」「なぜ私は怜悧なのか」「なぜ私はかくも良い本を書くのか」といった見出しが続くのですから。
こうした目に余る誇張や大袈裟な言い回しをとり合わないという扱い方もありますが、彼がここで言及している「私」とは、ニーチェであってニーチェではないのではない。そう考えてみると、何やら今週のいて座にとっても大事なメッセージとなるように思うのです。
つまり外部からの力に、ニーチェ自身の魂が開かれて、翻弄されつつもそれら全体を一個の運命として受け入れ、愛そうとしていくこと。ニーチェ自身が「運命愛」と呼んだ営みを、自分の身をもって示そうとしたのがこの本なのではないかということです。
今週のあなたもまた、自分の人生をルーズリーフのように挿入や入れ替え可能な開かれたテキストとして扱っていくことが課題となっていくでしょう。
闘争と自由
例えば、パブロ・ピカソは史上最も成功した画家である一方で、一生で何度も違う絵描きになったと言われていますが、それは一般的に想起される個人の成長過程から、彼が大いに逸脱していた何よりの証拠と言えるでしょう。
「わたしは発達などしない。わたしはわたしだ」
「絵は部屋を飾るためにつくられるのではない。私が古いもの、芸術を駄目にするものに対して絶えず闘争している」
といった彼の言葉からは、禅語の「日々是好日」に似た境地を感じます。
あるいは
「ようやく子どものような絵が描けるようになった。ここまで来るのにずいぶん時間がかかったものだ」
という彼の最晩年の言葉を聞くと、やはりピカソという人はただただ絵を描く喜びの中で自由自在にありたい人だったのだろうと思えてきます。
今週は、童心に帰れるかどうかが大切な基準になるでしょう。まずは自分や相手の心臓の鼓動を感じようとしてみることです。
今週のキーワード
日々是好日