いて座
静けさと自由
爽快と空白
今週のいて座は、「髪洗ふ静かに暮らすとはこんな」(夏井いつき)という句のごとし。あるいは、水に流せるものは水に流し、残った自分を乾かしてそれを再びまとめていくような星回り。
夏になると、汗が肌にべったりと貼りつくような感じがして、帰宅後すぐのシャワーが欠かせなくなる。掲句ではそうした日盛りの喧噪の痕跡を、きれいさっぱり流し去ったあとに残った空白が詠まれている。
いや、正確に言えば空白を作らせまいとして押しよせてくる考え事の方が主題だろうか。ただそれもシャワー浴びたあと、額にへばりついてくる髪みたいなものとも言える。
いずれにせよ作者は、髪を洗いながらも自分自身と対話し、そこで汗やほこりと一緒に自分の中の考えや執着を水に流しているのだ。
同様に、今週のあなたもまた自分自身にへばりついているものを洗い落としていくことで、「静かに暮らすとは」どんなものなのかを実感していくといいだろう。
東洋的自由と西洋的自由
喧噪から離れた、この世のしがらみからの解放。そんな自由を満喫していくことを大切にしていきたい今週のいて座ですが、ここでひとつ留意しておきたいことがあります。
というのも、「自由」という言葉には明治期以降、伝統的な意味に加え、欧米の翻訳語としての新しい意味が混ざっていったため、私たちもどこかいくつかの自由を混同してしまっているのです。
この点について、例えば禅僧の鈴木大拙は次のように述べています。
「西洋のリバティーやフリーダムには、自由の義はなくて、消極性をもった束縛または牽制から解放せられるの義だけである。それは否定性をもっていて、東洋的の自由の義と大いに相違する。(…)自由には元来政治的意義は少しもない。天然自然の原理そのものが、他から何らかの指図もなく、制裁もなく、おのずから出るままの働き、これを自由というのである」(『東洋的な見方』)
ここで指摘されている後者の自由こそが、本当の意味で、おのれが静かである(自意識がうるさくない)ということなのかもしれませんね。
勝手気ままに振る舞うのでもなく、発現行動の許可を自由と勘違いするのでもない、今こそ「自由」な生活を謳歌していく時です。
今週のキーワード
禅的生活