てんびん座
逆を極める
怠惰の両義性
今週のてんびん座は、修行生活における「怠惰」のごとし。あるいは、心中で起きている力動的な葛藤により深く没頭していこうとするような星回り。
初期キリスト教の修道士たちの1人であった聖ヒエロニムスは、灼熱の太陽に焼き尽くされる砂漠に身を置き、広大な孤独に苛まれながら暮らす中で、幾度もかつての楽しかったローマでの生活を幻視したそうですが、そのような時はしばしば1日が50時間くらいに感じられ、ぜんぜん時間が進んでいかないような感覚になったのだとも述べていました。
これはうつ病の主観的体験ともよく似ていますが、伝統的には「怠惰」と呼ばれ、普通に考えれば修行生活からの逃避であり、善からの逃走と考えられる訳ですが、現代イタリアの哲学者アガンベンによれば、怠惰には両義性があり、むしろ肯定的な側面もあるのだとして次のように記述しています。
怠惰な者を苦しめるのはそれゆえ、悪の意識ではなくて逆に、善の中でもっとも偉大なものへの配慮である。怠惰とはまさしく、神の前で人間が立ち止まるという義務に直面して、目を眩ませて怯えながら「後ずさりすること」である。(『スタンツェ』)
つまり、修道士が怠惰に陥って修行生活が向かっていくべき神の善から逃走するのは、そもそも神の善をはっきり認識しているから起きえることであって、そうでなければ修道士が神の前で怯むことすらないではないかという風に、逆説的に捉えている訳です。
同様に、7月14日にてんびん座から数えて「心の内奥」を意味する4番目のやぎ座で満月を迎えていく今週のあなたもまた、そうした弁証法的な捉え方を通して、かつて自分が喪ってしまったものを取り戻していく術を探っていくことになるでしょう。
時代的気分の弁証法
コリン・ウィルソンはニーチェやカミュ、ヘッセなど様々な人物や作品を例にとりあげて、彼らをいにしえの聖ヒエロニムスに連なる現代の「アウトサイダー」として見立て、その本質について次のように述べていました。
自分がもっとも自分となるような、つまり最大限に自己を表現できるような行動方式を見いだすのが「アウトサイダー」の仕事である。(中略)「アウトサイダー」は、たまたま自分が幸運に恵まれているから世界を肯定するのではなく、あくまでも自分の「意思」による肯定をしたいと願う。(『アウトサイダー』)
この本の主題は「私たちはなぜ日常に倦怠してしまうのか?」という1点の疑問に集約することができますが、これは「現代人はなぜ飲酒やドラッグ、いじめや不倫をやめられないのか?」といった問いにも置き換えることもできるはず。
日常生活が退屈だから。そう答える他ないところを、著者は「(自分には)才能もなく、達成すべき使命もなく、これと言って伝えるべき感情もない。わたしは何も所有せず、何者にも値しない。が、それでもなお、なんらかの償いをわたしは欲する」のだと述べています。
確かに、人生という不可解なものの内では私たちはいつまでもちっぽけで、結局何も所有することができないからこそ、何か可能なものを成就せんとして、醒めながら手を動かそうとするのかも知れません。ここでも言わば、「アウトサイダー」はそうなって当然な思考の流れの“逆”を極めている訳です。
その意味で今週のてんびん座もまた、単に惰性に陥るのでも、退屈な帰結にそのまま行き着くのでもなく、自分の潜在的なエネルギーを最大限に引き出していくべく、逆説的な文脈を自身の心に課してみるといいでしょう。
てんびん座の今週のキーワード
自分の「意思」による肯定を