しし座
生きていればそういうこともある
破れ目きたる
今週のしし座は、『幽霊とおぼしきものに麦茶出す』(澤田和弥)という句のごとし。あるいは、少しコミュニケーションのスケール感を大きくしていくような星回り。
夏の暑い盛りにわざわざ自宅まで訪ねてきてくれた客がいたなら、麦茶の一つでも出すのが礼儀というものですが、それが生きた人ではなく死者の霊であったとしても、掲句のように何気なく麦茶を出せる人はそう多くはないのではないでしょうか。
しかしここで留意せねばならないのは「幽霊とおぼしきもの」という言い方で、はっきりと幽霊であるとは判明していないのである。少なくとも普通の人間ではないし、姿かたちも明確ではなく、見えてさえいないが、ただなんとなくそこに透明な何か誰かの気配のようなものを感じとったのかも知れません。
例えば、私たちが暮らす地球だけでなく私たち自身が、他の星が死んで爆発し飛来してきた星のカケラによって出来上がってる訳ですが、今なお宇宙を探査しているボイジャー1号が送ってきた宇宙空間の音を聞いていると、ゴーっという低音のなかに時おりキィーンという高い音が混じっていて、これは星が爆発した音なのだそう。
つまり、宇宙のカケラは現に今もなお飛んできているのであって、地球上というのはさまざまなものが交錯し交じり合い続けている坩堝のような環境なのだということを考えれば、そうしたものが居間のテーブルにやってきたのを感じとって麦茶を出すくらいはむしろ当然の反応という気もしてきます。
その意味で、7月7日にしし座から数えて「コミュニケーション」を意味する3番目の星座であるてんびん座で上弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、動物や植物に話しかけるくらいは朝飯前のつもりで過ごしていくべし。
小沼丹の『十三日の金曜日』の場合
文鳥の記憶をめぐるこの短い小説では、主人公は或る日戦死したはずの友人を見かけ声をかけたら手を振ってくれたものの、別の知り合いにその友人はもう死んだと言われたことを思い出します。
不思議なものだと出した足が愛鳥を死なせる。午後から学校へ出勤し、電車に揺られていれば風呂敷包みを頭に落とされる。今日は“十三日の金曜日”だと話す声がする。着けば、上着に財布を入れ忘れた妻への悪口が外へ漏れて人を驚かせ、そこで話は唐突に終わる。
振り返ってみれば、この小説には実際のところ「文鳥」という言葉は1つもでて来ません。それに、いかにも小説のためと言わんばかりの、取って付けたような移動があるだけで、ここでは何かが破れているのです。破れているのは現在や過去といった時制なのか、それとも自他の境界線なのか、あるいは虚構と現実の区別なのでしょうか。
生きていれば、そういうこともある。今週の上弦の月もまたひとつの破れ目と言えます。今週のしし座もまた、不意に差し込まれてくるものを流すのではなく受け止めていくべし。
しし座の今週のキーワード
宇宙のカケラ