ふたご座
めくら滅法にぶつかっていく
セザンヌのタッチ
今週のふたご座が、セザンヌの描いた風景のごとし。あるいは、視覚以外の感覚に優位性を明け渡していこうとするような星回り。
近代以前の世界において、画家と言うのは第一義的には眼を使う人であり、眼が明らかにしたことを記録し伝えるためにだけ手を使う人だと見なされてきましたが、イギリスの哲学者コリングウッドはセザンヌ(1839~1906)がそれを変えたのだと言います。
いわく「そこへセザンヌがやってきて、あたかも盲目の人のように描くことをはじめた。彼の天才のなんやるかをよく示している静物画のデッサンは、あたかも両の手で探りまわされた物体のようである」とのことで、世間一般の光を描くのだという印象派の教説とは裏腹に、セザンヌは単なる視覚芸術という枠を超えて、足やつま先を含めた触覚にもとづき、絵画という分野において五感を組み替えを行っていったのだと述べています。
彼の描く風景は、その視覚性の痕跡をほとんどすべて失ってしまっている。樹木というのはあのように眼に見えるものではない。あれは、人が眼を閉じたまま出会い、めくら滅法にぶつかったときに感じられる樹木の姿なのである。(『芸術の原理』)
そして、通信技術やAIの発達によって知覚世界のデジタル化が著しく進み、視覚優位が顕著になっている現代においても、改めてこうしたセザンヌ的な“タッチ”が求められつつあるように思います。
7月14日にふたご座から数えて「盲点」を意味する8番目のやぎ座で満月を迎えていく今週のあなたもまた、奇抜な思いつきをこえて、伝えることや表現することのなんたるかを根本から問い直していきたいところです。
工藤直子の『ちびへび』という詩
暖かいのだもの/散歩は したいよ/ちびへびは/おうちに鍵をかけて/ぶらぶらでかけた
こんちわというと/小鳥は ピャッと飛びあがり/いたちはナンデェとすごんだ/あら おびに短したすきに長しねと/仲間は忍び笑いをしたちびへびは急いで家にもどり/おうちの中から鍵をかけ/燃え残りの蚊取り線香のように/まるくなって ねむった/でも……/暖かいのだもの/散歩は したいよ
この詩も視覚以外の感覚が使われていますが、人に煙たがられたり、うまく馴染めなかったり、身を隠したがったり、そんな「ちびへび」を工藤さんはどこかくつろいで書いています。だからか、読んでいるうちになんとなく楽しくなってきて、自分でも書けるんじゃないかという気分になって、ノートを携え喫茶店へ駆け込んでいきたくなる。
ただ、こういう洗練された文章というのは、肩に力が入ると途端に書けなくなるもの。セザンヌが手や指だけでなく足やつま先まで使った「運動するタッチ」に長けていったように、実際になりきってみないことには文章だって生まれてこないのです。
今週のふたご座もまた、これくらいの大胆さで「めくら滅法にぶつかっていく」ことができればいいのですが。
ふたご座の今週のキーワード
文は人なり