やぎ座
倦怠でも依存でもなく
いのちがけということ
今週のやぎ座は、『ビール苦く葡萄酒渋し薔薇の花』(正岡子規)という句のごとし。あるいは、自身の血と汗とを果敢に何か誰かへ捧げていこうとするような星回り。
作者の子規(1867~1902)は大変に酒に弱かったようで、学生時代から酒を飲んだ翌日に受けた数学の試験で14点を取っても、懲りずに「神保町の洋酒屋」へよく通っていたそう。
『下戸の説』というエッセイには、「日本の国に生まれて日本酒を嘗めてみる機会はかなり多かったにかかはらず、どうしてもその味が辛いやうな酸っぱいやうなヘンな味がして今にうまく飲むことが出来ぬ。これに反して西洋酒はシャンパンは言ふまでもなく葡萄酒でもビールでもブランデーでもいくらか飲みやすい所があって、日本酒のやうに変テコな味がしない」とあります(『酒』)。
いくら何でも「変テコな味」はないだろうというツッコミはあるとしても、子規が同じ業界のほかの先生たちとは異質の俳句観を示し、俳句の世界で“革命”を起し得た理由の一端が、こういうところにも示されているように思われます。
すなわち、子規は当時西洋から入ってきたばかりの美学や心理学、油絵などの思想や文化などの上澄みだけを取り入れただけでなく、それらを古代から支えてきた西洋の命の水を、文字通り自身の進退をかけて血肉化させてきたのです。
掲句で初夏の季語として用いられている「薔薇」も、ギリシャ神話の愛と美の女神ヴィーナスの花であり、キリスト教では特に赤い薔薇は「殉教」の象徴とされてきました。
5月8日にやぎ座から数えて「自己投機」を意味する5番目のおうし座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、子規先生にならって西洋酒で命の洗濯にいそしんでみるのも悪くないでしょう。
無意味を超えて
コリン・ウィルソンは『アウトサイダー』の中で、ニーチェやカミュ、ヘッセなどさまざまな人物や作品を例にとりつつ「アウトサイダー」の仕事について次のように語っていました。
自分がもっとも自分となるような、つまり最大限に自己を表現できるような行動方式を見いだすのが「アウトサイダー」の仕事である。(中略)「アウトサイダー」は、たまたま自分が幸運に恵まれているから世界を肯定するのではなく、あくまでも自分の「意思」による肯定をしたいと願う。
この本の主題は、「私たちはなぜ日常に倦怠してしまうのか?」という1点の疑問に集約することができますが、これは「現代人はなぜ飲酒やドラッグ、いじめや不倫をやめられないのか?」という問いと置き換えることもできるはず。
日常が退屈だから。そう答える他ないところを、著者は「(自分には)才能もなく、達成すべき使命もなく、これと言って伝えるべき感情もない。わたしは何も所有せず、何者にも値しない。が、それでもなお、なんらかの償いをわたしは欲する」のだと述べています。
これは本当にその通りで、みんな人生という不可解なものの内では結局何も所有することができないからこそ、何か可能なものを成就せんとして、醒めながら手を動かすのかも知れません。
今週のやぎ座もまた、依存や嗜癖によってではなく、アウトサイダー的な矜持をもって、自分という杯に命の水を注いでいくべし。
やぎ座の今週のキーワード
みずからの運命を必死に手繰り寄せるために