かに座
秘密との折り合い
背後に動く凝視者
今週のかに座は、「うしろに誰かがいる」という宮沢賢治の解離症例のごとし。あるいは、内なる破れ目や断裂をこころで追っていこうとするような星回り。
宮沢賢治は例えばあの「小岩井農場」でも「うしろからはもうたれも来ないのか」とか「うしろから五月のいまごろ/黒いながいオーヴァを着た医者らしいものがやつてくる」など、「うしろに誰かがいる/くる」感覚について頻繁に書いていますが、精神病理学者の柴山雅俊はこうした賢治特有の表現には「解離性の離人症」が関係していると述べています(『解離性障害』)。
彼の初期の短歌「うしろより/にらむものあり/うしろより/われらをにらむ/青きものあり」でも、背後に動く凝視者の存在が想定されており、それがやはり初期短編の「沼森」になると「なぜさうこっちをにらむのだ、うしろから。何も悪いことをしないぢゃないか。まだにらむのか、勝手にしろ」となり、さらに「復活の前」という作品では次のようになります。
黒いものが私のうしろにつと立ったり又すうと行ったりします。頭や腹がネグネグとふくれてあるく青い蛇がゐます、蛇には黒い足ができました、黒い足は夢のやうにうごきます、これは竜です、とうとう飛びました、私の額はかぢられたやうです。
解離とは、広くは「連続している心の機能に不連続が生じる現象」のことを言い、記憶・感情・意識などの心の動きのどこかに断裂が起きたり、人格的な破れ目ができたりすることをいうのだそうですが、賢治はそれを「うしろの誰か」というイメージを通して作品にし、その変化を追うことで彼自身の詩的世界も深化を遂げていったのかも知れません。
23日にかに座から数えて「パートナーシップ」を意味する7番目のやぎ座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、そうした作品化や作品世界の深化の鍵となるような誰か/何かを思い定めてみるといいでしょう。
孤独のうちに予感は育つ
私たちが何か大事なことを解りかける時というのは、すべからく孤独なのではないでしょうか。つまり、安易なおためごかしで自分の魂の真実をごまかすようことは間違ってもないような、乾きとも凍えとも取れるようなものを肌で感じている時に初めて、それまで理解できなかった物事へそっと開かれていくのだ、と。
この点について心理学者のユングは最晩年に出版された『ユング自伝』において、次のように言及しています。
われわれがなんらかの秘密を持ち、不可能な何ものかに対して予感を持つのは、大切なことである。それは、われわれの生活を、なにか非個人的な、霊的なものによって充たしてくれる。それを一度も経験したことのない人は、なにか大切なことを見逃している
ユングからすると、生活の必要十分条件とは、どこかの時点で自分だけの秘密にならざるを得ないものであり、「よく生きる」ということは、恐らく何らかのかたちで「なにか非個人的な、霊的なもの」との折り合いを予感していくということであるはず。その意味で、今週のかに座もまた、むしろひとりきりで予感と秘密に浸っていく時間を大切にしていきたいところです。
かに座の今週のキーワード
渇きと潤い