おひつじ座
身近な悪を見つめて
平和ボケから脱していくために
今週のおひつじ座は、「安心」を脅かすものへの目くばせ。あるいは、「(居)場所への暴力/危害」への解像度をあげていこうとするような星回り。
例えば、増え続けるSNSでの特定個人に対する誹謗中傷をとっても、日本社会は近年ますます一般庶民にとって「安心」が損なわれた社会へと零落し続けているように感じます。これは直接的ないし物理的な暴力を伴うものではありませんが、警察や軍隊などに頼ったり、何らかの防衛策を確保しなくても「安心」は毀損されないだろうという人びとの無意識的な社会への信頼を著しく蝕んでいます。
哲学者の飯野勝己は、『暴力をめぐる哲学』の中でこうした「ここにとりあえずは安らって居られる」というあり方としての人びとの「安心」を破壊するあらゆる活動や表現の根底にあるものを「(居)場所への暴力/危害」と呼び、それは私たちの「いつでもどこかの場所に居るほかなく、その場の環境とたえまなく交感し、だから場所の質にのべつ影響を被りつつ生きるほかないという、私たちの否応ない存在様式」を否応なく照らし出すのだと述べています。
そうすると、私たちはただ一部の政治家や政党について、選挙のときだけ糾弾するだけでは足らず、普段から利用する電車やバスなどの交通機関だったり、よく閲覧しているSNSや買い物サイトなどのインターネットを含んだ生活インフラといった「場所」における「安心」が、少なくともどのようなリスクや暴力に晒されつつあるかにもっと繊細に注意を払い、目を光らせ、場合によってはみずからの手でそれを防いだり、声をあげて指摘していかなければならない訳です。
その意味で、8月5日におひつじ座から数えて「自己規律」を意味する6番目のおとめ座に金星が入ってゆく今週のあなたもまた、国家というものに暴力は必然的に伴われるのだと、と簡単に了解してしまうのではなく、いかにそれに抗していけるかということが問われていきそうです。
「こうむる悪」の問題系
藤田正勝は、近代日本では個人の内面に分け入っていって、自分の意思に関わらずさまざまな悪を犯さざるを得ない“宿業”を見据えていこうとする「おかす悪」の問題が盛んに取り上げられてきたのに対して、社会の中に存在する悪や、弱者たちが経験する悪などの「こうむる悪」という問題があまり積極的に考えられてこなかったのだと指摘しています(『日本哲学入門』)。
一方で、例えばユダヤ人哲学者レヴィナスは、攻撃に対して力なく横たわる人々のまなざしの中にある抵抗が、暴力をもつ側に殺害への誘惑を引き起こすのだ、というところに考察の基礎をおいて、現代における「こうむる悪」の問題と対峙してきました。
そうした力なく横たわる者の持つまなざしというのは、レヴィナスによれば二重性をはらんだ弱者のまなざしであり、攻撃するものは殺したいと思いつつも、そのまなざしに宿る倫理的なもの、すなわち「高さの次元」ゆえにそれを殺すことができない。
だからこそ、そうした弱者のまなざしに立脚することではじめて、私たちは社会において倫理的な関係を構築していく可能性を切り開いていくことができるのではないか、そうレヴィナスは考えた訳です。
今週のおひつじ座もまた、他ならぬ自分自身こそ、そうした「こうむる悪」の当事者になりえるのだという認識に改めて立ち返ってみるといいでしょう。
おひつじ座の今週のキーワード
「(居)場所への暴力/危害」