おひつじ座
板子一枚下は深い夢
「ここには私たちを夢見ている深い夢がある」
今週のおひつじ座は、『ドラゴンクエストⅥ 幻の大地』のプレイ体験のごとし。あるいは、2つの異なる世界をみずから/おのずから、つなげていこうとするような星回り。
『ドラゴンクエストⅥ 幻の大地』というテレビゲームは、夢の世界と起きて実際に経験している世界とが、上の世界と下の世界として分けられ、その間を行き来するという設定になっています。そして、最初はその夢の世界からプレイが始まるのです。
主人公は、いま自分は生きて、いろいろな活動をしているんだと思い込んでいる訳ですが、プレイを進めていく中で、じつはそれは下の本当の世界の見ている夢だったという非常に衝撃的な事実が明らかになっていきます。
すなわち、2つの世界を行き来していくにつれ、途中でその2つの世界が合体していき、それで本当の自分になっていくんですね。こういう感覚というのは、たとえば「ここには私たちを夢見ている深い夢がある」と言ったアボリジニの人たちとも通じつつ、現代日本の都市部に暮らしているような、ごく普通の一般市民にも開かれていると思うんです。
つまり、自分や自分の人生は、自分の見ている夢であるだけでなく、他人の見ている夢なのかも知れないという感覚です。この「他人」のところに、昔の日本人ならば、「イエ」とか「先祖」などを代入していった訳ですが、さて、今のあなたならいったいどんな言葉やイメージを代入しますか?
6月21日におひつじ座から数えて「ホーム」を意味する4番目のかに座に太陽が入っていく(夏至)今週のあなたもまた、自分個人よりもリアリティを感じるものとのつながりを改めて深めていくことがテーマとなっていくでしょう。
座の伝統
ドラクエシリーズのプレイ体験のもう一つの特徴としては、個人のスタンドプレイではなく、必ず仲間や協力者の力を借りて、難局を乗り越えていくようにできているゲーム設計ですが、これは少なからず日本文学における「座」の働きに通じるものがあるように思います。
一定の土地に集団で定住し、生活圏を自給自足で回るようにしてきた農耕社会を長らく続けてきた日本では、その文化形成においても、和歌における贈答歌や歌合わせなどに顕著に見られるように、創作と享受とが同じ場において営まれ、作者と読者が渾然一体となった共同体単位(「座」)で一連の作品を生み出すという伝統がありました。
例えば現存する日本最古の歌集である『万葉集』。それは和歌が、農耕生活の祭りの場における集団的願望の表現行為として発生して以来、民謡的なものをバックに、個と集団とが一体化してかたち、ないし集団における唱和のかたちをとって展開を重ねてきたものが結実した古代的達成のピークに位置づけることができるでしょう。
そしてその背景には、壮絶な内乱によって大量の敗者や変死者が発生し、その怨念が道という道に溢れているという、凄まじい「滅び」や「喪失」の現実、すなわち「座の異常」があったのです。その意味では、先の「深い夢」を見ている主体というのは、そうした異常に巻き込まれた私たちの祖先や死者たちという風にも言えるかもしれません。
今週のおひつじ座もまた、誰かと心を通わせながら共に一つの作品、一つの文化の形成に参与していくつもりで過ごしてみるべし。
おひつじ座の今週のキーワード
共同体的制作へ