おひつじ座
血、泥、花
いのちに触れるということ
今週のおひつじ座は、花と刺し違える82歳のごとし。あるいは、「いのちにふれるというのは、乱れている相手を自分の内部に取り込むことだ」という言葉を噛みしめていくような星回り。
そう語っていたのは、伝説的な生け花作家・中川幸夫。彼がその名を轟かせた作品に『花坊主』(1973)があります。真っ赤なカーネーション900本の花をむしり、それをまるでうつ伏せになった女体の、胴体の下半分のような形をした大きなガラス壺に一週間詰めておくと、花は窒息するのだそう。
そして腐乱したその赤い花肉を詰め込んだ壺を、真っ白なぶ厚い和紙の上にどんと逆さに置く。鮮血のような花の液が、じわりじわりと滲み出してゆく。そんな狂おしい光景が作品。哲学者の鷲田清一が「ホスピタブル」なケアの現場をフィールドワークして綴った『<弱さ>のちから―ホスピタブルな光景―』には、さらに次のような中川とのやり取りが記されています。
「お花を恨んだことってないですか?」
「ふふふ。恨むというよりは……言うことを聞いてくれませんしね」
「女のひとくらい、やっぱりむずかしいんでしょうか」
「そりゃ、もう、なんですなあ、なんとも言えないけれど」
中川を扱った章の表紙には、「血に染まる」「花と刺し違える」とありますが、「癒す/癒される」という関係性も、彼にとっては「食う/食い破られる」といったものに近く、少なくともどちらかが一方的に関わって無傷でいられるようなものではないのでしょう。
3月25日におひつじ座から数えて「確かな接触」を意味する7番目のてんびん座で満月を迎えていく今週のあなたもまた、もはや黙って素通りすることは許されない、徹底的に関わらざるを得ない何か誰かについて、改めて覚悟を決めていくことがテーマとなっていきそうです。
「汚泥」に咲く蓮華
仏教において“涅槃の境地”を象徴する神聖な花とされる蓮華は、汚泥の中から伸びて美しい花を咲かせることでも知られています。では、この「汚泥」とは何のことか。それは、日常生活で生じる煩悩であり、人間関係において必ず生じてくる葛藤のこと。
例えば、仏典の翻訳者として知られる鳩摩羅什(くまらじゅう)は「たとえば臭泥の中に蓮華を生ずるがごとし。ただ蓮華を採りて臭泥をとることなかれ」と弟子たちに云っていたと伝えられていますが、これは人間の実態というのは美しい側面と汚れた側面とが、複雑に入り乱れて混在しているのであり、それを見極めていくことの重要さを説いた言葉とされています。
しかし、誰かと深く関わっていくということは、相手の「花」だけでなく、少なからず「汚泥」に触れていくことを含んでいるはず。そして、もちろん自分自身の「汚泥」も露呈していかざるを得ないはず。
今週のおひつじ座もまた、自分の中の「汚泥」を見つめ、そこからどんな花を咲かせていくのかということを実感を持って予感していくことになるかも知れません。
おひつじ座の今週のキーワード
煩悩即菩提(煩悩はやがては悟りの縁となる)