おひつじ座
道に迷った先で
すべてが過去に沈んでしまったけれど
今週のおひつじ座は、<わたし>を襲った偶然への問いのごとし。あるいは、遠いところへ意識が運ばれるような匂いを不意に嗅ぎつけていくような星回り。
「私が生れたよりももつと遠いところへ。そこではまだ可能が可能なままであつたところへ」(『九鬼周造随筆集』)。これは哲学者の九鬼周造が、別の自分でもありえたのかもしれないという人生の根底でうごめく感情について言い表した一節なのですが、こうした思いは幾つになっても、いや年齢を重ねれば重ねるほど、不意に頭をもたげてくるものなのではないでしょうか。
例えば、重い病気にかかったり、不幸な事故の渦中にたたき落とされた時も、人は同じ感情に浸され、病や事故に遭わない人生もありえたはずなのに、なぜよりによってこんな目に遇わなければいけなかったのかと、問いを発していくはず。
それは答えようのない問いではありますが、それを問うことで、人は偶然の折り重なりとしての<わたし>という感覚を深め、さらにそこでもうひとつ、別の偶然が折り重なることに気付くのです。
それは、たがいに見知らぬ人同士の偶然の出会いが、家族との必然の関係に劣らず、ときに人生を大きく左右してしまうことがあるということ。そしてそうした決定的な意味を持った偶然的出来事を人は「運命」と呼ぶ訳ですが、それもやはり偶然に襲われることで初めて<わたし>に訪れるのです。
3月10日におひつじ座から数えて「失われたもの」を意味する12番目のうお座で新月を迎えていくところから始まる今週のあなたもまた、どこまでがただの偶然で、どこからが運命だったのか、しみじみと九鬼の言い表した感情に浸ってみるといいでしょう。
村上春樹の長編小説『1Q84』の天吾と青豆
例えば、きわめて長くおそろしく内容の複雑なこの小説は、それでも基本的には天吾と青豆という主人公同士の恋愛物語であり、その核は彼らがまだ孤独な少年少女だった過去にあります。
2人はある日、誰もいない放課後の小学校の教室で、一度だけ長いあいだ手をつなぎ目を見つめ合った。その瞬間―当時は自分らでもよくわかっていなかった、静かで大きな意味のある瞬間は、その後ずっと2人のなかから消えることはありませんでした。青豆は自分が近く去っていくことを知っていたため、自分の存在を天吾の手のひらに刷りこみ、それによって彼の魂は永遠に変わってしまったのです。
それから20年が経って、2人はそれぞれに孤独な人生を送りながらも、ある事件に別々に巻き込まれながら、次第に互いの人生がずっと関わり合ってきたことを知っていきます。何によって知りえたのか。それは、道に迷うことによって。道徳的に、あるいは単に愛を見失ったという意味で、取り返しのつかないほど道に迷っている感覚を噛みしめていく中で、やっと2人の人生は少しずつ繋がり始めます。
そんな話ばかばかしいし、現実ではありえない。普通ならそう思うでしょう。しかし、今週のおひつじ座の人ならば、どこかで衰えてしまった愛をかき立てる力を改めて呼び覚ましていくことができるはず。
おひつじ座の今週のキーワード
魂の呼応