おひつじ座
移りゆく世にあわせて己をつかう
固定と流動
今週のおひつじ座は、『鳥渡る終生ひとにつかはれむ』(安住敦)という句のごとし。あるいは、みずからの心に沁みついたしがらみを天高く解き放っていくような星回り。
「つかはれむ」の「む」は意志の助動詞の終止形で、意味としては「使われようと思い」ないし「使われるつもりだ」といったところでしょうか。
実際、作者は父の失業など家庭の事情で一高への進学を諦め、中学を終えると職を求めていますが、その学歴で求められる就職口はなおさら限られていたはず。生活のため、人に使われることをとらねばならず、それは終生つづいていく。しかし、それは自分だけでなく、ほとんどすべての人が同様なのだ、と。
この「終生ひとにつかはれむ」という半ば自嘲のこもったつぶやきは、もし「鳥渡る」という秋の情趣あふれる季語と一緒でなければ、ずいぶん暗く沈んでいたように思います。
冬鳥は北からやってきて、夏鳥は南へ去っていく。それは脱することのできない、生き物としての本能であり、と同時に、点景のような日常の一コマ一コマを広く包摂する大いなる世界の移りゆきなのだとも言えます。
15日におひつじ座から数えて「縁」を意味する7番目のてんびん座の新月から始まる今週のあなたもまた、自分自身をつつみこむ環境や配置の流動ぶりを感じ取っていくべし。
「石の乞わんに従え」
中世の庭師のための指南書『作庭記』には、庭石を庭に配置するときは、石が潜ませている「こうしてほしい」という声を聞きなさい、その声に従いなさい、という教えがありました。
そうすれば、庭と石との案配がおのずから決まってくる。そのことを会得しなさい、という訳ですが、これは日本の職人が大切にしてきた「才能」というものの感覚をよく伝えてくれているように思います。
それは簡単に言えば、「才能」というのは「才」と「能」の2つが組み合わさったものであり、「才」とは庭師や大工など人間の側がもっいている技術や経験のことで、「能」は木や石や鉄などの素材が持っている潜在力のこと。
つまり、「才」とはあくまで「能」をいかし、はたらかせることで初めて意味をもつのであって、こうした才能観は現代の企業文化において奨励されるスキルアップやタレント(才能)など、人間の側にそなわっているものだけを重視する考え方とは明らかに異質なものと言えます。
今週のおひつじ座もまた、自分自身の「才」に拘泥しすぎる代わりに、それを使わせてもらうきっかけとなるような「能」の声に耳をそばだて、従っていくべし。
おひつじ座の今週のキーワード
「才」と「能」とのかみ合わせを微調整していくこと