おひつじ座
つまづいた先にそれはある
目はいらぬ
今週のおひつじ座は、『リア王』のグロスターないしエドガーのごとし。あるいは、心眼を得ていくような星回り。
弟にあたる庶子エドマンドの悪だくみにより、反逆者に仕立てられ追放されたグロスター伯爵の息子エドガーは、頭のおかしい乞食トムに身をやつすうち、両眼をくりぬかれた父にもそれと気付かれずに、ドーヴァー海峡へ向かう父の手を引き同行することになります。
盲目のグロスターが、すぐ目の前にエドガーがいるのに気付かずに「わしには道などないのだ。だから目はいらぬ。目が見えたときにはよくつまづいたものだ」とつぶやき、さらに続けてこう言うのです。
よくあることだが、ものがあれば油断する、なくなればかえってそれが強みになる。ああ、エドガー、お前は騙された愚かな父の怒りのいけにえになった!生き永らえていつかお前の体に触れることができたなら、そのとき、おれは言うだろう、父はめをふたたび取り戻した
こうして残酷な逆境に置かれるようになって初めて、平穏な生活の最中では決して見えなかったことが見えるようになっていく訳です。シェイクスピアは『ソネット集』の中でも、「目をしっかりつむっているときに私はいちばんよく見える」と歌っており、お気に入りのモチーフだったことが伺われますが、これは今のあなたにとっても大事な指針となっていくはず。
12日におひつじ座から数えて「力が尽き果てること」を意味する8番目のさそり座に火星が入っていく今週のあなたもまた、特に大事な判断や物事の真価をはかる際には、これまでと同じように今後も当たり前にあると思ってしまっているものはないか、いったん「目をつむって」みるよう試してみるといいでしょう。
寺山修司の言葉
例えば日本のパンクシーンは、そのノイジーな音だけでなく、特異な言語感覚によっても特徴づけられるように思いますが、1950年代から80年代にかけてそうした日本のアンダーグラウンドに大きな影響を与えた寺山修司の言葉を、ここで3つほど引用しておきたいと思います。
僕は恥ずかしき吃り(どもり)である。だが、吃るからこそ、自分の言葉を、自分の口の中で噛みしめることができるのだ。(『書を捨てよ、町へ出よう』)
歴史を変えてゆくのは、革命的実践者たちの側ではなく、むしろ悔しさに唇をかんでいる行為者たちの側にある。(『黄金時代』)
ダンス教室のその暗闇に老いて踊る母をおもへば 堕落とは何?(『テーブルの上の荒野』)
彼の言葉には、いつも隠れた疑問符がついてまわっているように感じますが、それは与えられた幸福で人生への疑問を塗りつぶすような真似を、彼がついぞしなかったからでしょう。今週のおひつじ座もまた、そうした彼の探求に続いていくべし。
おひつじ座の今週のキーワード
残酷な逆境でこそ磨かれるもの