おひつじ座
悪への感受性を研ぎ澄ます
超個人的な悪の隆盛
今週のおひつじ座は、悪魔払いにのぞむ「エクソシスト」のごとし。あるいは、身近にはびこる「悪」に対抗していくのに必要なだけの危機感を研ぎ澄ませていくような星回り。
歴史学を専門とする哲学博士であるJ・B・ラッセルは、「悪魔」について本格的に論じた『悪魔の系譜』のなかで、次のように指摘しています。
われわれ各自のなかに悪が存在するのは確かだが、個人の悪を膨大に加えたところで、地球という惑星の破壊はもちろん、アウシュヴィッツを解明することは誰にもできない。この規模の悪は質的にも量的にも異なっている。もはや個人の悪ではなく、おそれくは集合的無意識から生じる超個人的な悪である。
かつて古代ローマの教父アウグスティヌスは、悪とは「完全性の欠如」であると考えましたが、ラッセルがいうように最新のテクノロジーやデジタルと結びついた現代の悪はもはやそんな生やさしいものではなく、リアルに実在する内在的かつ自律的な存在なのです。
悪魔そのもの、すなわち可能な範囲において宇宙を破滅させ、荒廃させることを意識的に選ぶ、闇の支配者の意志を反映させているのかもしれない。苦しみのために苦しみを与え、悪のために悪をなすことで、悪魔は紛れもなく宇宙的悪の人格化である。
最後の「宇宙的」というところで引っかかる人もいるかも知れませんが、ここで重要なのは「悪魔は紛れもなく悪の人格化である」という部分であり、これは言い換えれば「悪は人間によって行われる」ということに他なりません。
5月28日におひつじ座から数えて「規律と美学」を意味する6番目の星座であるおとめ座で上弦の月を迎えるべく光が戻っていく今週のあなたもまた、まずはみずからの内に巣食う無知や無関心がどんな風に「超個人的な悪」に繋がって、実際的な事態をひき起こしているか、想像してみるべし。
バビロニア的なるものとしての「グローバル経済」
聖書の創世記には、人間がバビロニアに巨大な塔を建てると、人びとが次々と集まってきて、そこが世界の中心になるものの、ほどなくしてトラブルが相次ぎ、町は崩れ、塔の工事はストップし、神の意志で廃墟と化してしまったという物語があります。それはなぜか。
「彼らは一つの民で、皆一つの言葉で話しているから」。そのために、彼らは「れんがを作り、それを焼こう」と話し合い、天まで届く塔のある町をつくろうなどと不届きなことを考えるようになっていった。だから、神は「彼らの言葉を混乱(バラル)させ、互いの言葉が聞き分けられぬようにしてしまおう」と介入したのだと。
当時のイスラエルでは家は石で作られていましたから、たった1つの言語で世界をまとめ、「れんが」で作ろうというのは、いわば伝統的なやり方を放棄して、非常に強大だったバビロニア帝国の方式に従うという意味であり、現代でいうグローバリゼーションにみずから迎合し、隷従(れいじゅう)していくということでもあります。
2001年のアメリカ同時多発テロで世界貿易センタービルのツインタワーがテロリストたちに狙われたのも、「これこそ現代のバビロニアの象徴だ」という理解が根底にあったからとも言われており、それはユダヤ教、キリスト教、イスラム教の土壌で育った人たち共通の含意だったのです。
同様に、今週のおひつじ座もまた、いつのまにか自分の中に入り込んでいた“バビロニア的なるもの”にいかに、どれだけ気付いていけるかが問われていくでしょう。
おひつじ座の今週のキーワード
悪は人間によって行われる、それも集合的になればなるほど悪の度合いは大きくなる