おひつじ座
独り在ることの看取
散文的世界から詩的宇宙へ
今週のおひつじ座は、時代の不安を癒やす者としての「詩人」のごとし。あるいは、「隠された詩」として、宇宙に内在する声を拾い上げていこうとするような星回り。
18世紀の思想家ジャン=ジャック・ルソーは、晩年に書いた『言語起源論』の中で、原初の人間たちは、私たちがいま日常的に使っている言語とも0と1からなるコンピューター言語とも異なり、詩と音楽によって互いに語り合っていたのだと書いていましたが、現代の詩人エリザベス・シューエルはそうした言語を「オルフェウスの声」と呼びました。
彼女によれば、ギリシャ神話の吟遊詩人オルフェウスの物語は3つに分かれており、「まずその声をもって木石を動かし、野獣を大人しくさせ」、そこでは「おのずから音楽が言語と詩に結びついている」ことが端的に示される。次に、亡き妻を探して冥界へと下り、「その詩の力をもって冥府入りを許され、望みを聞き届けてもらう」が、「約定に背いて地獄の出口で思わず振り向いてしまい、妻を喪い」ます。そして第三に、「バッケーの狂女たちに八つ裂きにされたオルフェウスの頭部が、オウディウスによれば重々の谺を返しながらなお歌いつつ、川面を下って」いったのだと言います(『オルフェウスの声』)。
シューエルはこうしたオルフェウス神話こそ、ばらばらに分断された世界を統合せんとする詩ほんらいの力に重ねあわせることができるのだと考え、それを「陳述であり、問いであり、そして方法でもある」とも表現していました。
2月20日におひつじ座から数えて「他者との溶け合い」を意味する12番目のうお座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、みずから死を招きもすれば死を克服しもする不思議な力を持つ詩的な言語の使用法について自分なりに模索してみるといいでしょう。
谷川俊太郎の『朝』
NHKの制作班は2010年の一連のドキュメンタリー番組において、地縁や血縁などが解体され、すっかり孤立無援状態になった個人がそうした孤独を自力ではどうすることもできず、行き詰まってしまった社会を「無縁社会」と名付けました。
それから10年以上が経過した今、SNSなどを見ていると個人の側でも独り在ることを深く感じたり受け止めたりすることができなくなってしまっているような印象さえ感じます。その意味で、谷川俊太郎の『朝』という詩は、自分がひとりの人間として今ここにあることを深く深く感じとり、それを詩の言葉で表している稀有な例と言えるでしょう。
また朝が来てぼくは生きていた/夜の間の夢をすっかり忘れてぼくは見た
柿の木の枝が風にゆれ/首輪のない犬が陽だまりに寝そべっているのを
百年前ぼくはここにいなかった/百年後ぼくはいないだろう
あたり前な所のようでいて/地上はきっと思いがけない場所なんだ
いつだったか子宮の中で/ぼくは小さな卵だった
それから小さな小さな魚になって/それから小さな小さな鳥になって
それからやっとぼくは人間になった/十カ月を何千億年もかかって生きて
そんなこともぼくら復習しなきゃ/今まで予習ばっかりしすぎたから
今朝一滴の水のすきとおった冷たさが/ぼくに人間とは何かを教える
魚たちと鳥たちとそして/ぼくを殺すかもしれぬけものとすら
その水をわかちあいたい
今週のおひつじ座もまた、こうして詩を書くことや、それを読み、沈潜することを、セルフケアの一環として取り入れてみるといいかも知れません。
おひつじ座の今週のキーワード
いのちをめぐる復習