おひつじ座
宇宙との呼吸合わせ
商品と情報の向こう側とこちら側
今週のおひつじ座は、近代人でも自然児でもなく、ただ宇宙人としてあろうとしていくこと。あるいは、「自然」から「宇宙」への変動に呼応していこうとするような星回り。
近代以前と違って、現代社会では私たちの身の周りにあるのはあるがままの豊かな自然というよりも、まずもって商品や情報であり、それらが次々と生み出されては流れ消え去っていく奔流の中で生きているのだと言っていいでしょう。そこでは、一つ一つのモノの実感は際限なく軽くなっていき、そうして私たちは自然を見失ってきた訳です。
ところが、そうして自然が客体化され解体されていくと、今度は「解体できない自然」としての生身の身体がますます鋭敏に反応するようになり、内なる自然をも包みこむ「宇宙」との連続性ないし断絶が、良くも悪くも本人の生の実感として露わになってしまっているようにも思えます(後者の例としての自己肯定感の低下)。
現代人が直面しているこうした事態について、俳句の実作者の立場からより切実な実感を持ってきたであろう長谷川櫂は『俳句の宇宙』の中で、次のように述べています。
そして、今次の新しい大変動に立ち会っているのかもしれない。(…)「自然」から「宇宙」への変動によって滅んでゆく季語と生まれてくる季語があるだろう。(…)リズム――人間が宇宙と呼吸を合わせるためのリズムは今までよりももっと意識された大事なものになってゆくだろう
ここで言われている「宇宙と呼吸を合わせるためのリズム」の一つが、例えば俳句の五七五であり、また月の満ち欠けであったり、新しい季節を迎えていく調整期間としての土用だったりするのではないでしょうか。
2月6日におひつじ座から数えて「生命力の充実」を意味する5番目のしし座で満月を迎えていく今週のあなたもまた、自分なりの「宇宙と呼吸を合わせるためのリズム」ということを大切にしつつ、身体がそれにどう反応していくかということを鋭敏に感じ直してみるといいでしょう。
常識的であることと何事もないことは等しい
あなたは自分のことを知恵者か、愚者か。どちらに近い存在だと思っていますか?
――子供の頃、独りで広場に遊んでいるときなどに、俺は不意と怯えた。森の境から……微かな地響きが起こってくる。或いは、不意に周囲から湧き起ってくる。それは、駆りたてるような気配なんだ。泣き喚きながら駆けだした俺は、しかし、なだめすかす母や家族の者に何事をも説明し得なかった。あっは、幼年期の俺は、如何ばかりか母を当惑させたことだろう!泣き喚いて母の膝に駄々をこねつづけたそのときの印象は、恐らく俺の生涯から拭い去られはしないんだ。(埴谷雄高、『死霊』)
こうした、私が私であることへの「怯え」、あるいは自分が人間であることへの不快には、身に覚えがある人もいるでしょうし、一方で記憶ごとすっかりなかったことにして“賢く”生きている人も少なくないはずです。
しかしこうした「戦慄」や、「うめき」こそが、どこで覚えた訳でもない、常識に曇らされず見ることのできる、本当の現実であり、宇宙との連続性を生きるということなのかも知れません。そういうことが、今週のおひつじ座は少しだけ分かるのではないかと思います。
おひつじ座の今週のキーワード
宇宙的気配に敏感になること