おひつじ座
いざ、ところてん!
1回こっきりの比喩
今週のおひつじ座は、『ところてん煙のごとく沈みをり』(日野草城)という句のごとし。あるいは、“ずずずずっ”と未知の自分が押し出されていくような星回り。
「ところてん」はもともとは寒天で、その前は天草(てんぐさ)を煮て取り出したもの。それを冷やして固めたものを、ところてん突きで押し出されていく様子を、作者は「煙のごとく沈む」と詠んだわけです。
ここには明らかに飛躍があり、読者はそこでいったん立ち止まることになるはず。すなわち、「煙」のどんな隙間にも入り込んでしまうような、ゆったりとしつつももはやその勢いを決して止めることのできない動きや、煙ったような不透明な色かたちを思い浮かべ、さもありなんと思い直すのです。
すると、掲句が十七音の言葉すべてに無駄がなく、比喩だけが浮いてしまうこともなく、ひとつの作品として自立していることが分かってくる。
詩とは、未知なる言葉の発見であり、それに驚いたり、不思議がったり、不安になったりしつつも、最後にはそれがごく自然なことのように感じられてくるように設計された体験芸術ですが、人生もそれと似たところがあるのではないでしょうか。
23日におひつじ座から数えて「潜在的現実」を意味する12番目のうお座で下弦の月(意識の危機)を迎えていく今週のあなたもまた、「煙のごとく沈む」という比喩くらいには未知な自分自身の側面にいい加減に気付いていくべし。
自分自身がメディアになること
神が訪れる媒体となることを生業としてきたシャーマンの伝統においては、決定的瞬間を「待つ」ということが特に大切にされてきました。
例えば、古代ギリシャやアルタイ、日本でも、お祭りにおいて「鈴」が用いられてきましたが、ロシアのシャーマンは腰に鈴をたくさんつけて、音がすることで神さまが来たことが分かるようにしていました。そうして「おとずれ」を待っていた訳です。
言わば、やはりそれに備えて自分の感覚を研ぎ澄まし、自分でも気が付いてなかった気持ちや本音がいつ自分のもとを訪れてもいいように、つねに臨界値にしていったのです。界に臨んで、獲物がやって来るのを、熟練のハンターのようにひたすら待つことに集中していく。これは書いてしまえば簡単ですが、自分自身がメディアであることを忘れてしまった現代人にとってはなかなかに難しいことかも知れません。
ただ一方で、中世くらいまでの日本人であれば、街と街との境界線で、ビーンビーンと櫛をならしておのれを1つの受信機にし、自身の未来を占うことなどは、誰もが親しんでいたありふれた技芸でもあったのです。今週のおひつじ座もまた、できるだけ己を無にして、自分の心の琴線に耳を研ぎ澄ましていきましょう。
おひつじ座の今週のキーワード
『言霊の八十の衢に夕占問ふ占正に告る妹はあひ寄らむ』柿本人麻呂