おひつじ座
「大人」という呪いから脱する
俳句は自意識の外に出る呪文
今週のおひつじ座は、『髪洗ふシャワーカーテン隔て尿(ゆま)る』(榮猿丸)という句のごとし。あるいは、何の変哲もない日常にエロスを取り戻していくような星回り。
「髪洗う」は高温多湿な日本の夏において伝統的に使われてきた夏の季語。しかし、ここで詠まれているのは極めて現代的な日常の光景。おそらくは、2人暮らしの部屋のユニットバス。朝でかける前に、ひとりが髪を洗っている横で、もう1人が用を足している。
2人を隔てているのは半透明のシャワーカーテン1枚ですから、当然、お互いの音はそのまま聞こえる訳ですが、果たしてより恥ずかしいのはどっちの方なのか。というか、そもそも恥ずかしいという感覚自体が残っているのだろうか。
そんなことをふっと考えてしまう一句であり、というか、そこに思い至ったからこそ掲句は生まれ、だからこそ掲句にはそこはかとないエロさが感じられるのでしょう。
逆に言えば、もし作者がこれみよがしな露出やストレートすぎる露呈に少しでも走っていたならば、こうはならなかったように思います。
同様に、5月9日におひつじ座から数えて「感情のはけ口」を意味する5番目のしし座で上弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、ふとした瞬間に感じる「エモさ」にこそ救われていく瞬間がやってくるはず。
寺山修司のラジオドラマ「大人狩り」
革命を起こして大人を皆殺しにし、または後楽園球場にかたっぱしから監禁したあと、こどもばかりの世の中がやってきて……、こども政府はこども憲法を発布する。
というのが、その大筋なのですが、世の中を支配する側にまわったこどもたちは、どんどんその残酷でユーモラスな本質を露わにしていき、つぎつぎとおとなたちの作った価値を破壊していきます。例えば、こどもの詩人が登場してきて、「童話」と「教科書」を焼却しようと提案し、その代わりに次のような詩を発表するのです。
6663 6633 633……1!
1!
おいおい、これにどんな意味があるの、なんて思ってしまった人は、きっと自分で思っている以上に“おとな”側の人間なのでしょう。というのも、こどもというのは、こうした呪文的な口ざわり、ロクロクロクサンといったようなナンセンスさ、意味のなさにこそ詩的ロマンや純粋な喜び、すなわちエロスを感じるものだから。
その意味で、今週のおひつじ座もまた、意味の川を簡単にわたってしまう以前の、原初的な欲求へと立ち返ってみるといいでしょう。
おひつじ座の今週のキーワード
純粋体験としてのナンセンス