おひつじ座
役に立たないよう頑張る
国家なきアナキズムを生きた人々
今週のおひつじ座は、柳田國男が『遠野物語』の冒頭に書いた一節のごとし。あるいは、自分なりの「アナキズム」を生きようとしていくような星回り。
国内の山村にして遠野よりさらに物深き所には、また無数の山神山人の伝説あるべし。願わくはこれを語りて平地人を戦慄せしめよ。
これは明治の末になっても、平地民にとって自分たちとはまるで異質な存在である「山人」たちが、鬼や天狗、山男、山姥などに形を変えて、国家の支配から免れながら「物深き所」で非国家的空間を形成し続けていたということを裏付けているように思います。
つまり、山というのはつねに国家に抗う「まつろわぬ民」の住処だったのであり、そうした民話は柳田にとって架空のおとぎ話というより、どこかで現実の向こう側へと突き抜けていくためのリアルな手がかりだったのです。
例えば、柳田は戦後まで長らく狩猟や焼畑で生計を立ててきた宮崎県の椎葉村を訪れた際に、人々が富を平等に分配していることに感動し、奇跡的なユートピアであると感じたようです。それは平等主義が高い理想のもとで実現したというより、自分たちのコミュニティが階層的で抑圧的な場所にならないよう、あえて平地と真逆であろうとした結果でした。
12月29日に拡大と発展の星である木星が、おひつじ座から数えて「恐れと憧れ」を意味する12番目のうお座へと移る今週のあなたもまた、どうしたらこれまで当たり前のように生きてきた現実の苦しさや抑圧を解消していけるかがテーマとなっていくでしょう。
荘子の「無用の用」
中国古典の『荘子』には面白いエピソードが数多く出てきますが、そのうちの一つに、幹がこぶだらけで枝の曲がりくねった大木があって、これを何の役にも立たないと言う人に、荘子が次のように語ったという話があります。
大木があって用いようがないとご心配のようですが、それを何物も存在しない広々とした空漠の野原に植えて、そのまわりでかって気ままに休息し、その樹陰でのびやかに腹ばって眠るということを、どうしてなさらないのです(金谷治訳注)
これは「有用性」とか「役に立つ」か否かという基準そのものが、どうしても平地的な発送に偏りがちで、それしか考えられなくなってしまったら社会や人間はおしまいだということに警鐘を鳴らしている訳で、「無用の用」という言葉もここから生まれたのだそう。
今週のおひつじ座もまた、いっそカカシのようにただボーっと突っ立ってみたり、猫のように暇な時間を存分にもてあましていきたいところです。
おひつじ座の今週のキーワード
「まつろわぬ民」になりきる