おひつじ座
くらい土の中だから感じられること
※12月13日〜19日の占いは、諸事情により休載いたします。誠に申し訳ございません。
次回は12月19日(日)午後10時に配信いたしますので、どうぞよろしくお願いいたします。
後光を見る目
今週のおひつじ座は、薄暗い本堂のなかでぼうっと光る仏像のごとし。あるいは、着込んで重くなっていた“鎧”をひとつふたつ脱ぎ捨てていくような星回り。
光を理性を、闇を無知や愚かさと結びつけ、後者をできるだけ排除しようとするのは近代社会のある種のお約束事のひとつですが、そうして闇と光を二元論的な対立構図で捉えようとするのは、西洋的な合理主義への無邪気すぎる信仰のあらわれでしょう。
例えば、木造の古いお寺の本堂にひとりで入って、仏像を眺めていたりすると、窓から差し込むあかりしかないはずなのに、本堂のなかが淡い光に満ちているように感じることはないでしょうか。
そういう光というのは、蛍光灯の無機質な光とは異なり、まるで仏像の内側から漏れ広がってきては、闇や人間の悪や弱さ(傷つきやすさ)を包み込む、滲みだすものとしての光なのだと言えます。
それを昔から人々は「後光」と呼んできた訳ですが、現代人はみずからの弱さや悪を隠すため、あまりに多くの鎧を着こむことに慣れ過ぎているせいか、そうした内側から滲みだす光を見る力をだいぶ失ってしまったように思います。
11日におひつじ座から数えて「闇や悪や弱さ」を意味する12番目のうお座で上弦の月(行動の危機)を迎えていく今週のあなたもまた、自身の、ないし目に留まった相手の身体から滲みだすその光をじっと見つめてみるといいでしょう。
牟礼慶子「見えない季節」
できるなら 日々のくらさを 土のくらさに
似せてはいけないでしょうか(『魂の領分』)
という呟きとも悲鳴ともつかない独白から始まるこの詩は、盲目的な発達においてありあまる活力と幼稚さと意地と傷つきやすさがせめぎ合っていく、誰もが経験するだろう思春期について詠まれたものです。
青春というのは、後から振り返ったときにのみ「美しい」と言えるもので、その最中は大変に苦しく暗いものでしょう。しかし、それでも作者はこう続けます。
ともあれ くらい土の中では
やがて来る華麗な祝祭のために
数かぎりないものたちが生きているのです
今週のおひつじ座もまた、いま感じている意気消沈や内なる魂の暗さを、そうした「やがて来る祝祭」のための肥しに感じていけるかどうかが焦点となっていきそうです。
おひつじ座の今週のキーワード
二元論を超えた第三の選択肢