おひつじ座
われは星なり、われは波なり
「われの星」をめぐって
今週のおひつじ座は、「われの星燃えてをるなり星月夜」(高浜虚子)という句のごとし。すなわち、「われ」もまた「星」として生きていかんとするような星回り。
昭和はじめの句。句意としては、月のない秋の夜に、満点の星が地上を照らすほどに明るい。この数限りないほどの星々の中に「われの星」も燃えているに違いない、といったところでしょうか。
この「われの星」、つまり「わたしの星」というのはかなり大胆な物言いで、頭上で輝く星を畏敬しながらも、同時に親しい友でもあるかのような感覚を持っていなければ、なかなかこういう風には言えないように思います。
作者はこのとき57歳。自分もまた地上の星のごとき存在であるという自負を、ようやく肩に力を入れることなく持つことができるようになったのか、それとも、つねに内なる星を感じることができないようでは、とても俳人とは言えないという厳しさを自分に向け続けてきたことへの大いなるねぎらいを感じたのか。
9月7日におひつじ座から数えて「自分なりの流儀」を意味する6番目のおとめ座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、掲句の境地に達するつもりで日々を過ごしてみるべし。
「波だから、潮だから」
日本という国が肌感を伴なって農本主義でなくなってきたのは、やっと戦後のことでした。産業構造が変わり、会社勤めをする人が増え、農家の嫁以外の‟職業”につく女性が増えていったのです。
自分たちは戦乱をくぐり、あるいは飢餓や苦境を生き延びて、多様な職業につくようになって、すこしは地位が向上しただろうか。ちょうどそんな意識が共有され始めた1970年代中ごろに、女性の手によって編まれた詩に永瀬青子の『蝶のめいてい』がありました。
窓から外をみている女は、その窓をぬけ出なくてはならない。日のあたる方へと、自由の方へと。
そして又その部屋へかえらなければならない。なぜなら女は波だから、潮だから。人間の作っている窓はそのたびに消えなければならない。(「窓から外を見ている女は」)
ここでいう「窓」とは、ものごとの視野を狭めて規定する価値観の‟枠”であり、「ここから先はお前の領域ではない」と社会がこさえて用意してくる‟柵”でもあったのでしょう。けれど、女性は本来、男性よりも自然に近く、容易に‟枠”にも‟柵”にもおさまらない存在であり、むしろそれらを消し去り、押し流すほどの力を秘めているもの。
今週のおひつじ座もまた、これまでの自分を振り返りつつ、そんな風に自分に秘められた力がどれほどのものであるのかを、改めて自覚していくことになるはず。
おひつじ座の今週のキーワード
‟枠”にも‟柵”にもおさまらない存在