おひつじ座
素足であること、酸いであること
忘れてはいけない感覚
今週のおひつじ座は、通奏低音としての「素足」のよう。あるいは、いきいきとした感覚を見失わないような在り方を改めて思い出そうとしていくような星回り。
「「素足」とは、何よりもまず、ひりひりとした新鮮な感受性である。また、正確な平衡の源泉である。総じて、大地の直接の感覚である。(中略)さらに、大地の感覚は「地下の異次元世界に通じ」その底から患者を仰ぎみる感覚をもさずけてくれる」
そう書いていたのは、霜山徳壐の『素足の心理療法』の書評を書いた精神科医の中井久夫でした。書名の意味するところは、技法以前の著者が心理療法に臨む「通奏低音」において、「病む者へのつつましい(小文字の)畏敬」なのではないかとも述べていましたが、これは今のあなたにとっても大事なことなのではないでしょうか。
「「靴をはかない」ということは不偏不党という気楽なことではない。自分の素足で歩くということは「雪の上を裸足でよろめいて行く」と述べられてあるとおり、何によっても守られていないということである。」
8月30日におひつじ座から数えて「サバイバル」を意味する3番目のふたご座で形成される下弦の月から始まる今週のあなたもまた、いま自分がどんな守りや保護を脱ぎ捨てようとしているのか、改めて思い定めていくことになるでしょう。
「酸い」な自己肯定
さまざまな経験を積んで成熟した人間のことを、「酸いも甘いも嚙み分けた」と表現することがありますが、これは以外に古い言い回しで、「酸い」というものを現代の基準でレモンのような酸味と考えてしまうと、途端に話がよく分からなくなってしまいます。
日本の伝統的な酸味というのは、そもそも甘味も含んでいるのであって、例えば醸造酢のような「まろみ」に近く、だからこそ「嚙み分ける」必要があるし、それには両者の微妙な違いを区別するための‟基準”を知っていなければなりません。
九鬼周造は『いきの構造』において、甘味に対して渋味を対置させた上で、その中間にあるものが、派手と地味の中間にあるものと対応しているのだと論じました。つまり、甘味というのは「俗」であり、人目を気にし過ぎており、その対極である渋味の「脱俗」すなわち一切の比較対象がそぎ落とされた隠遁者的な精神的円熟の境地を‟基準”とすることで、「いき」な甘さ=「酸い」を感じ取っていくことができるのだと考えた訳です。
それと同様、円熟味のある自己否定を基準にしつつ、ありのままの自分への甘い自己受容とは異なる、「いき」な自己肯定をいかに繰り出していけるかが、今週のおひつじ座にとっても大事なトピックとなっていくでしょう。
おひつじ座の今週のキーワード
甘味と渋味の中間に立つ