おひつじ座
祝福の内実
笑いと生成
今週のおひつじ座は、バフチンの「カーニヴァルの笑い」のごとし。あるいは、傍観者でいることをやめて生成途上にある世界全体にみずからをぶつけていくような星回り。
生真面目な公式文化に対立するものとして、ロシアの文学研究者バフチンは民衆的な笑いの文化を非公式的な民衆文化の本質なのだと指摘しましたが、そうした意味での<笑い>とは一体どんなものだったのでしょうか。
それはカーニヴァルに代表されるような祝祭の場に見られるような笑いであり、バフチンはその特徴として次の三点を挙げました。
- 皆が笑う
- 皆が笑われる
- アンビヴァレントである
すなわち、皆が笑いもすれば笑われもするのが民衆的な笑い、カーニヴァルの笑いであって、そこでは一個人が滑稽なのではなく、世界全体が滑稽であるがゆえに笑うのです。それは陽気な歓声をあげる笑いである一方で、愚弄する嘲笑でもあり、そうであるからこそ民衆は「生成途上にある世界全体からみずからを除外」せず、民衆もまた「未完成であってあって、やはり死に、生まれ、更新される」ことができるのです。
そうしてバフチンは「近代の風刺的な笑い」と区別したこの笑いは、人間を「否定しつつ肯定し、葬りつつ再生させる」のだ述べています。
8月8日におひつじ座から数えて「再誕」を意味する5番目のしし座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、そうしたアンビヴァレントな笑いの中にみずからを投げ込んでみるといいでしょう。
提灯もって橋を渡ってゆく女の子
日本では古くから各地で「行き逢い坂・行き逢い橋」という説話が伝えられてきましたが、これは或る土地の神と異なった処の神とが出会ったところでその領土の境を決めるという話と、巫女の資格をもった村の女が周期的に巡りくる異人すなわち神を迎えに行く祭祀儀礼とが一つになったものとされています(折口信夫『女房歌の発生』)。
そうやってかつての日本人は定期的に再誕を遂げるため神とじかに交通する時空間を「祭り」において保ってきた訳ですが、野山の精霊を信じられなくなった現代においてそれは実に稀な現象となってしまいました。
ただ今週のおひつじ座であれば、冷笑的な笑いとともに自我の面の皮を厚くする代わりに、祝祭的な時空間のなかで生まれ変わっていく感覚を取り戻していくことができるかも知れません。
おひつじ座の今週のキーワード
笑うことによって神を招き、魔を払う